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年表_国史_古墳時代


■古墳時代(3世紀前半~)

和暦 西暦 日本 海外
  391

倭国、朝鮮半島で新羅・百済の連合軍を破る

広開土王碑(1880年の清・集安で発見)には、391年に倭軍が海を渡り、新羅・百済を従属させ臣民にし、高句麗とも戦ったと彫刻されている。日本神話(記紀)では神功皇后の新羅征伐の記載があり、この391年のことではないかと考察されている。

※広開土王は高句麗の19代目国王

 
  421

宋への朝貢、開始

宋の正史「宋書」倭国伝における倭国による宋への朝貢の最初の記録は421年。その後倭国が10回使者を送り、大和朝廷の支配が拡大したことが記載。「宋書」には5人(讃・珍・済・興・武)の倭国王の朝貢の記録があり、宋の冊封体制のもと大和朝廷の大王(天皇)に充てられた中華名と思われる。

 
  478

宋より倭国王の地位を授かる

倭王武(雄略天皇)が宋へ使いを送った時、倭国王の地位を認められ、また朝鮮半島南部(任那(加羅))の軍政権と安東大将軍の地位も認めらえた。但し、翌年には宋は滅びる。

 
  479  

宋、滅亡

 

和暦 西暦 日本 海外
       
       
       
  589  

隋、支那大陸を統一

宋滅亡から戦乱期にあったが、約300年ぶりに支那大陸が隋により統一された。 朝鮮半島の高句麗、新羅、百済はすぐに隋に朝貢を始めるが、日本は11年間使節を送らなかった。