■奈良時代(710-794)
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
和銅3 | 710 |
平城京に遷都 第43代元明天皇は、奈良盆地北部の平城京に遷都。平城京は唐の都である長安(西安)に倣ったとされる。碁盤の目のように東西南北に道で区切られ、中央の朱雀大路により、東側の左京と西側の右京に分けられる。中央北側に大内裏(ダイダイリ)があり、ここには皇居と中央政府の官庁が置かれ、大極殿(ダイゴクデン)では朝廷の儀式が行われた。 |
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和銅5 | 712 |
古事記、完成 天武天皇の命令で編纂された歴史書「古事記」が完成。稗田阿礼(ヒエダノアレ)が日本各地の神話を覚え、それを太安万侶が文字に書いた。国内向けで万葉漢字で記される。 内容は天地初発~推古天皇まで。 |
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養老4 | 720 |
日本書紀、完成 天武天皇の命令で編纂された歴史書「日本書紀」が完成。舎人親王(天武天皇の皇子)が中心になり編纂し、国外(支那・朝鮮の役人)向けに漢文(古代中国語)で記される。 内容は天地開闢~持統天皇まで。 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
721 | |||
724 |
聖武天皇、即位
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720 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
731 | |||
730 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
731 | |||
734 |
畿内七道地震、発生 畿内で発生したマグニチュード7(推定)の地震。続日本紀には「大地大いに震い天下の民衆の家が倒壊し圧死者が多数出、山崩れ、川の閉塞、地割れが数えきれないほど発生した」とある。 |
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天平7 | 735 |
735年~737年に九州から天然痘が広まった。この年に太宰府に帰国した遣唐使や、新羅使が疫病も持ち込んだ可能性がある。 人口の30%前後(100万人超)が感染により死亡。首都の平城京でも多くの感染死者数を出し、国政を担う藤原不比等の息子4兄弟は4人とも病死した。 |
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天平12 | 740 |
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和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
天平13 | 741 |
聖武天皇の即位後、凶作・地震・疫病、政治の混乱など社会不安が高まっていた。聖武天皇は仏教による国家鎮護のため全国に国分寺・国分尼寺の建立を命じた。全国に置く国分寺・国分尼寺の総本山として東大寺・法華寺を位置付けた。 |
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天平15 | 743 |
都の東大寺に大仏の建立を命じた。大仏建立は壮大な国家事業であり、使用された青銅は約500トンで、完成まで7年を要し、延べ260万人以上が工事に関わったとされる。創建当時の大仏及び大仏殿の建造費は現在の通貨価値換算で約4657億円に相当。仏教発祥地のインドにも、仏教先進国の唐にもこの規模の仏像はなかった。
墾田永年私財法、制定 大仏建立に膨大な資金が必要となり、土地の私有を認める墾田永年私財法を制定。私有地に課税することで費用の一部を捻出した。私有が認められた土地には管理のための事務所・倉庫が設けられ、これを荘と呼んだことから荘園と呼ぶようになった。 従来の公地公民制から荘園制に移行した。 |
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天平17 | 745 |
天平地震、発生
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750 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
751 | |||
天平勝宝4 |
752 |
東大寺の大仏が完成し、4月9日に大仏開眼供養(目を入れて魂を迎え入れる供養)の儀式が執り行われた。国内からの参列者は1万数千人、新羅から700人、インドや唐からも多くの僧が参加。 |
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760 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
761 | |||
770 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
771 | |||
780 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
781 | |||
790 |
和暦 | 西暦 | 日本 | 海外 |
791 | |||
794 |