■19世紀前半(1801~1850)
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1801年 | ||||
1802年 | アレクサンダー・フォン・フンボルト | ドイツ | グアノの発見 | ドイツの探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトはインカ帝国で使われていた肥料であるグアノ(海鳥の糞の堆積物)を発見。フンボルトはグアノをヨーロッパに持ち帰った。科学者はグアノに窒素とリンが多く含まれることを突き止めた。 |
1805年 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1806年 | ||||
1810年 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1811年 | ||||
1812年6月 |
※1812年6月~1814年 |
ヨーロッパのナポレオン戦争中に起きたアメリカとイギリスの戦争。アメリカでは第2次独立戦争と呼ばれる。 歴史上、アメリカ本土が直接攻撃された戦争。 |
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1815年11月 |
第二次パリ条約、締結 ※ナポレオン戦争の終結 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1816年 | イリギス |
貨幣法の制定 ※金本位制の導入 |
金本位制度は、世界共通の価値が認められる金とその国の通貨の交換を、各国が保証するという制度。 当時、産業革命により「世界の工場」となったイリギスは貿易で他国に商品を売って儲けたかった。金本位制度の導入は、世界貿易の拡大とともに(フランやマルクならまだしも)、価値があるのか分からない円のような他国通貨を受け取る機会が増えたことへの対応。 |
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1817年 | イギリス |
ソブリン金貨の発行開始 ※金本位制の始まり |
金本位制を法的に導入したイギリスの貨幣法(1816年)に基づき、新しい本位金貨が制定され、これをソブリンと名付けた。1817年にソブリン金貨が鋳造開始され、実際に紙幣(兌換紙幣)との兌換が開始されたのは1822年である。 欧州でイギリスと付き合いの深く、金保有量に余裕のある国が徐々に金本位制度を導入(1870年代にドイツ・フランス、1890年にアメリカ)。日本は日清戦争で得た賠償金(金2億両)を得たことも背景に、1897年に金本位制を採用する。 |
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1820年 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1821年 | ||||
1823年 | アメリカ | モンロー宣言 | 欧州諸国がアメリカ大陸に干渉しないよう求めた宣言。 | |
1825年 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1826年 | ||||
1830年 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1831年 | ||||
1835年10月 | アメリカ |
テキサス独立戦争、開始 ※1835年10月~1836年3月 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1836年3月 | アメリカ |
テキサス共和国、独立宣言 ※テキサス革命 |
メキシコ政府の許可を得てテキサス(メキシコ領)の荒れ地に入植したアメリカ人達は、人口で現地のメキシコ人を圧倒すると、テキサス共和国の独立を宣言した。 ※アメリカのメキシコとの戦争はテキサス領土問題から始まる。現在のアメリカ領土であるテキサス州からカリフォルニア州までの広大な領地は本来メキシコ領で、スペイン語を話すメキシコ人が住んでいた。ロサンゼルス(天使達)、ラスベガス(牧草地)、コロラド(赤い川)など、スペイン語の地名が多数残る。 |
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1838年 | アフガニスタン |
第一次アフガン戦争、開始 |
ウズベキスタンを併合したロシアのさらなる南下を警戒したイギリスは、英領インド帝国からアフガニスタンへ出兵した。 ※アフガン戦争は、ロシアとイギリスがユーラシアを奪い合ったグレートゲームにおける最前線となった。 |
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1840年 |
イギリス 清 |
アヘン戦争、開始 ※1840年6月~1842年8月 |
当時イギリスの中心産業は綿であったが、清では売れずに貿易赤字を出していた。そこで植民地インドで生産したアヘンを清に売って利益を出したが、清はアヘン蔓延に対してその全面禁輸を断行し、反発したイギリスとの戦争に発展した。 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1841年 | ||||
1842年8月 |
イギリス 清 |
南京条約、締結 ※アヘン戦争の終戦(講和)条約 |
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1845年 | アメリカ |
※テキサス共和国、米国28番目の州へ |
テキサス共和国の独立宣言後、メキシコ軍を撃退。テキサス共和国はアメリカ合衆国に加盟申請し、28番目の州となった。 | |
1845年9月 | アイルランド | アイルランド |
ジャガイモ飢饉、始まる ※1845年~1849年 |
アイルランドは1801年よりイギリスに併合され、イギリスにおける穀倉地帯として多くの食糧をイギリス本土に輸出していた。 1849年までの4年間に渡り、ヨーロッパ各地でジャガイモを枯死させるウイルス性の疫病が蔓延。ジャガイモを主食とするアイルランドでも1845年9月よりこの疫病が蔓延し、蔓延後の政策も相まって大飢饉となった。 1841年には800万人強のアイルランド人口は、飢饉に関連する死亡(約150万人)とアメリカ・カナダ・オーストラリアへ移民として脱出(約100万人)したことで1851年の人口は650万人程度に減少した。 |
1840年代 |
欧州 アメリカ |
ヨーロッパの農民、アメリカに移入 ※草の根保守(リバタリアン)の源流 |
ピューリタン(清教徒)以外の第二グループとして土地を求めて貧しい農民が欧州からアメリカに移入。彼らは未開拓の原野を切り開き、大自然の脅威や先住民からの反撃に耐える開拓農民になる。 政府からの保護を当てにせず、丸太小屋を自分で建て、銃を離さず、家族の命も自分たちで守る開拓者精神を持つ。アメリカの草の根保守の源流であり、現在でも銃規制や増税に断固反対し、一切の社会保障を求めず、小さな政府を是とする人々。誰にも頼らず、誰も助けないという究極の自由主義者。通常の自由主義(リベラル)と区別し、リバタリアンともう呼ばれる。共和党の強固な支持基盤であるが、同性婚や妊娠中絶は個人の自由を見なし、同じく共和党の支持基盤でありピューリタンを源流とする宗教右派とは対立関係にある。 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1846年 |
アメリカ メキシコ |
※1846年~1848年 |
テキサス合併を不服としたメキシコ合衆国とアメリカ合衆国との戦争。アメリカ側ではメキシコ戦争、メキシコ側ではメキシコ侵略と呼ばれる。なおアメリカの圧勝に終わり、西海岸のカリフォルニアまで領土を獲得。本戦争によりアメリカは大西洋国家から大西洋・太平洋に跨る国家へとなる。 |
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1848年5月 |
アメリカ メキシコ |
※米墨戦争の終戦(講和)条約 ※アメリカによるカリフォルニア等の割譲 |
米墨(ベイボク)戦争ではアメリカ合衆国の圧勝に終わり、1848年5月に終戦条約であるグアダルーペ・イダルゴ条約が締結される。この条約では、アメリカはカリフォルニア等の広大な領地(現アメリカ領土の南西部)を割譲するが、その対価としてアメリカはメキシコに1500万ドルの支払いと対米債務325万ドルの帳消しとした。 ※米墨戦争の勝利により、アメリカは大西洋国家から大西洋・太平洋に跨る国家へと変質した。 |
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1848年 | アメリカ |
※ペリーの日本来航の遠因 |
アメリカ・メキシコ戦争でアメリカが圧勝し、アメリカ大陸西海岸カリフォルニアまでアメリカ領になり、すぐに金鉱が見つかる。西海岸に移民が殺到し、ゴールドラッシュが起きた。当時は大陸横断鉄道開通(1869年)以前で、4000m級のロッキー山脈を越えるアメリカ大陸横断ルートを馬車で越えることは難しい。 当時として現実的なルートは、アメリカ大陸東海岸から大西洋へ渡り、アフリカ最南端(喜望峰)を回ってインド洋を抜け、東南アジアのマラッカ海峡からフィリピンを抜け、日本を掠めて太平洋を越えてアメリカ大陸西海岸となる。 アメリカが他国(イギリスなど)から西海岸の金鉱山の権益を守るには軍艦を送る必要があり、その目的から日本、フィリピン、ハワイが航路の中継基地として重要視され、5年後の1853年に日本にペリー来航(黒船来航)することになる。 なお南米最南端のドレーク海峡を回るルートですが、ドレーク海峡は絶えず暴風雨が吹き、海の難所として有名。乗客の安全を考えるとリスクが高いと判断される。 |
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1850年 |