①力学の黎明期_年表
アイザック・ニュートンによる大著『プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)』(第1版が1687年に刊行)が誕生するまでの力学的発見について整理する。
西暦 | 人物・機関 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
-4C | アリストテレス | ギリシャ | 落下現象の認識 |
アリストテレスは自由落下について、重い物体ほど速く落下し、軽い物体ほど遅く落下すると考えた。この認識は中世のガリレオの時代まで落下現象の常識として定着。 ⇒ガリレオ・ガリレイは『新科学対話』(1638年)にて"落体の法則"を発表し、アリストテレス派の知識人の落下現象の認識を否定する。 |
-4C | アリストテレス | ギリシャ | 天動説の有力な証拠 |
アリストテレスが提唱した天動説(地球中心説)の根拠として、もし地球が動いていたとしたら雲や落下物が地球から置き去りにされるはずだが実際はそうなっていない…という考え方があった。 ⇒ガリレオ・ガリレイは『天文対話』(1632年)にて"慣性の法則"、"ガリレイの相対性原理"を発表し、アリストテレス派の知識人の天動説に関する根拠を否定する。 |
1604 | ガリレオ・ガリレイ | イタリア | 落体の法則 |
1604年頃には、ガリレオは落体の法則について発見していたとされる。 落体の第1法則:物体の重さに関係なく同じように自由落下する 落体の第2法則:等加速度運動で自由落下する アリストテレスは、重い物体の方が軽い物体よりも速く落下するとしたが、その常識を実験に基づいて否定し、軽い物体が遅く落ちるのは空気抵抗であるとした。詳細は、(第2次)宗教裁判(1633年)後に著した書物『新科学対話』(1638年)にて記される。 |
1632 | ガリレオ・ガリレイ | イタリア |
書物『天文対話』 ※地動説支持を鮮明化 慣性の法則(等速円運動) ガリレイの相対性原理 |
ガリレオは書物『天文対話』の中で、彼が支持する地動説の正しさを示すために対話形式(天動説派vs.地動説派)で持論を展開させた。また本書では運動法則である"慣性の法則"も天動説を否定する材料として初めて提示された。アリストテレス派の天動説の有力な根拠であった地球が動いても雲が置き去りとならないことを説明した。
但し、ガリレオの"慣性の法則"は地球を直径とするような等速円運動であり、厳密な等速直線運動ではない点に注意。これはガリレオですら円軌道が外力がない場合の自然運動の道筋であると考えていたと言える。 |
1633 | ローマ法王庁 | イタリア |
ガリレオの宗教裁判(異端審問) ※第2次宗教裁判 |
ガリレオ(69歳)、前年に出版した『天文対話』が地動説を世に推し広めているという廉で、ローマ法王庁により宗教裁判(異端審問)に掛けられる。有罪宣告を受け、『天文対話』も禁書目録へ。 |
1638 | ガリレオ・ガリレイ | イタリア |
書物『新科学対話』 落体の法則 放物線の運動 目視での光速度の測定実験 ※失敗に終わる |
落体の法則を実験的に実証し、アリストテレス派の主張を否定した。 ・落体の第1法則:物体の重さに関係なく同じように自由落下する 同じ大きさで重さが異なる物体(鉛、石、樫の木の球)を100mの高所から同時に落とし、着地がほぼ同時であることから第1法則を実証。軽い樫の木の球が多少早く地面に到達した理由は空気抵抗のためと結論付けた。重いものほど速く落下するとするアリストテレス派の説を否定した。 ・落体の第2法則:等加速度運動で自由落下する 物体の動きを観測しやすいようにスロープ(緩い坂道)の上を金属球が転がる装置を作った。また金属球の移動距離と通過時間の関係を音で聞くために、スロープにはグノモン(1,3,5,7... といった奇数の等差数列)の間隔で鈴を付け、金属球が通過する度に触れるよう仕組んだ。なおグノモンの合計は、常に整数の平方数となる性質がある(例えば、1+3+5+7+9=5^2)。実際に装置で金属球を転がすと、金属球は同じ時間間隔(リズム)で鈴を鳴らしながら移動することが分かった。つまり、落下距離(1+3+5+7+9)は落下時間(5)の2乗(5^2)に比例する第2法則(等加速度運動)を突き止めた。ガリレオはスロープの傾斜を徐々にきつくして、最終的には鉛直にしても第2法則は成立すると類推した。 ガリレオが発見した慣性の法則と落体の法則から、投斜体の運動が放物線を描くことを説明した。運動方向を水平方向(慣性:x=at)と垂直方向(落体:y=bt^2)に分解して法則で記述し、これを合成するとy=(b/a^2)x^2となる。 時間と速度の関係図を作ると、その面積が距離となる。等加速度運動の場合、距離は三角形の面積(1/2at^2)となる。 |