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年表_数学/情報_B1001BC


■紀元前1001年以前(~-1001)

西暦 人物 国(場所) 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
-2000 バビロニア人 メソポタミア 円周率は3または3+1/8 円周の長さ(c)が直径の長さ(d)の3倍と少し余るため、円周率は3を使ったと思われる。直径dに対して余りの部分が約7-8倍だったことから、近似値として円周率は3+1/8が使われたと思われる。
-1850   エジプト

文書『モスクワ・パピルス

半球の表面積

四角錐切頭体の体積

円周率の近似(256/81)

 
-1800 古代バビロニア人 メソポタミア

粘土板『プリンプトン322

ピタゴラス数

60進法

位取り記数法

粘土板『プリンプトン322』は、現在コロンビア大学の「プリンプトン記念コレクション」に収められ、322番という番号が付されている。粘土板には15行2列の数字は配置され、同じ行の左右の数字を2乗して差を取ると、別の数の2乗となることが確かめられた。つまり、この粘土板は15組のピタゴラス数が刻まれた数表(バビロニアン・テーブル)であった。比較的大きな数のピタゴラス数も刻まれ、どうやらピタゴラス数の一般解も知られていたのではないかと推察される。

古代バビロニアは60進法を採用したが、それ以前に使われたとされる10進法が楔形文字の種類(1~9の9種類と10,20,30,40,50の5種類)に反映され、いわば10進法と60進法の折衷表記となっている。1~59までが楔形文字の組み合わせで表され、60で繰り上がると左にずらして位取りする記数法が採用される。なお60進法は、10進法よりも格段に約数が多い(約分しやすい)特徴を持つ。

60進法の12246を10進法に変換するには、1*60^2+22*60^1+47=4967とする。

ゼロに当たる記号はなく空白で表し、確立した数としてのゼロの概念はまだなかったとされる。小数の概念はあったが、小数点に当たる記号はなく、文脈で読み取る必要があった。

-1800   メソポアミア

粘土板『BM13901

2次方程式の解法

連立方程式の解法

※負の数の概念はなし

粘土板文献『BM13901』には2次方程式の解法や、消去法を用いた連立方程式の解法が書かれていた。なおBMとは大英博物館(British Museum)を指す。

メソポタミアでは、言葉により方程式の演算を考えており、まだ代数的な文字(記号)の利用はなかった。そのため負の数の概念もなく、正の数の解だけ求めていた。

-1650 アーメス (アフモセ) エジプト

文書『リンド・パピルス

(もしくはアーメス・パピルス)

※当時の数学問題集

円周率は4×(8/9)^2

エジプト分数

1853年、『リンド・パピルス』はイギリスのエジプト研究家アレクサンダー・ヘンリー・リンドが、テーベの廃墟から発見し、死後に大英博物館に寄贈された。その象形文字で書かれた内容は1877年にアイゼンロールが解読した。『リンド・パピルス』は紀元前1650年頃、書記アーメスが過去300年間に解かれた数学の問題を集めて問題集形式に編集したものであり、アーメス・パピルスとも呼ばれる。

円の面積の問題が書かれており、そこから推測すると円周率=64/81×4=(16/9)^2=3.16049...となり、当時は円周率は3.16を使っていたようだ。

エジプト分数と呼ばれる分子が1の分数(分数単位と呼ぶ)しか用いない独特の数の表し方が用いられた。

-1600   バビロニア 三平方の定理 古代バビロニアの粘土板に三平方の定理(a^2+b^2=c^2)が書かれていた。3,4,5の以外の整数の組として、5,12,13と8,15,17など書かれているという。
-1001