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年表_数学/情報_17-FH


■17世紀前半(1601~1650)

西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1601        
1607 ピエール・ド・フェルマー フランス フェルマー、誕生  
1610 ルドルフ・バン・コーレン オランダ ルドルフ、逝去

ルドルフは50歳にして円に興味を持ち、その後生涯を円周率の近似計算に費やした。死ぬまでに正2^62角形の周長を計算し、円周率を小数第35桁まで決定した。このことを誇りに思い、遺言としてライデン市のセント・ペーテル教会の彼の墓石には3.14159265358979323846264338327950288...が刻まれている。

ドイツ語圏では、円周率はルドルフ数と呼ばれている。

1615 ルドルフ・バン・コーレン オランダ

円周率の近似

※小数35桁まで決定

ルドルフの死後、妻によりルドルフの研究成果が出版された。この中に内接及び外接する正2^62角形を用いて、小数35桁までの円周率が掲載された。

■ルドルフ以後の円周率の近似計算

17世紀に入ると、円周率に対して多くの無限級数や連分数が発見される。この方法により円周率の小数の桁数は急速に伸び、アルキメデス以来の正多角形を用いた計算による競争は終焉を迎える。

1618 ジョン・ネイピア イギリス

論文『素晴らしい対数表の使い方』

対数表

自然対数(底がネイピア数)

小数点の記号(.)

論文の付録として収録された対数表に関連して自然対数が登場する。但し、この表自体は数学者ウィリアム・オートレッドにより作成された。自然対数のいくつかの値が書かれており、その底であるネイピア数自体については記述されなかった。
  ヤコブ・ベルヌーイ スイス

複利計算

ネイピア数の計算

初めてネイピア数自体を計算して発見した。

※ネイピア数を記号で表したのはライプニッツとされ、現在使われるeを用いたのはオイラーとされる。

1631 ウィリアム・オートレッド イギリス

書物『数学の鍵(クラビス・マスマティカ)』

掛け算(乗算)の記号(×)

比率の記号(:)

数学者ウィリアム・オートレッドは、当時の代数学の知識を簡潔に概観する書物として『クラビス・マスマティカ』を出版した。記号を多用することで簡潔に数学を表現することを目指しており、乗法の記号(×)、比率の記号(:)が生み出された。
1637 ルネ・デカルト フランス

書物『方法序説及び試論』

デカルトの代数記号

※代数を使う習慣の始まり

書物『方法序説及び試論』の『幾何学』において現代的な代数記号法が登場した。等号が∝を180度回転させた記号で、2乗がxx,yyなどで表される点を除けば概ね現代的な方程式の表記となる。未知量にx,y,zなどアルファベット後半の文字を用い、既知量にa,b,cなど前半の文字を用いた。

1637 ルネ・デカルト フランス

虚数(nombre imaginaire)と命名

デカルトが虚数を命名。虚数の存在は、

虚数は、数直線上に表せない数である。

ガウス平面(複素数平面)では縦軸に虚数軸、横軸に実数軸(数直線)を設定することで、座標(a,bi)をプロットできる。なお複素数zはz=a+biの方程式であり、異なる次元の和である。

  ピエール・ド・フェルマー フランス

フェルマーの小定理

nが素数ならば2^(n-1)-1は必ずnの倍数となる定理。但し、2^(n-1)-1がnの倍数になるからと言って、nは素数とは限らない。素数ではないのにフェルマーの小定理を満たす数を擬素数と呼ぶ。擬素数があるため、フェルマーの小定理がその数が素数かどうか判定する道具にはならない。

但し擬素数は非常に稀にしか存在しないので、フェルマーの小定理を満たす数は多分、素数である確率は高い。

1644 マラン・メルセンヌ フランス

メルセンヌ数

メルセンヌ素数

※完全数との関係

 
1650