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年表_数学/情報_FMBC


■紀元前1千年紀(-1000~0)

西暦 人物・機関 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
-1000        
-6C~-2C   インド

書物『シュルバ・スートラ

※宗教儀式の書

三平方の定理

三平方の定理を明確に述べた文献としては最古とされる。
-6C ピタゴラス ギリシア

ピタゴラスの定理

(三平方の定理)

ピタゴラスは紀元前572年頃に地中海のサモス島で宝石細工師の息子として生まれた。相当長い間エジプトに留学し、バビロニアにも訪問して学問を修業した。紀元前532年ごろ、故郷サモスに学校を建てようとしたが、当時のサモスの僭主ポリュクラテスの支配下にあったため、イタリア南部のクロトンへ移住して実現させた。ピタゴラスの建てた学校は、学校というより教団と呼ぶべきものであった。

ピタゴラス教団

-6C ピタゴラス ギリシア

平方数のグノモン分解

平方数を構成するために連続的に加えた奇数は、ピタゴラスの時代にはグノモン(Gnomon)と呼ばれていた。ピタゴラスは平方数がグノモンの和で表されることを利用して、次々とピタゴラス数を得る方法を発見した。最後に加えるグノモンが平方数であれば、ピタゴラス数が得られる。

1=1^2

1+3=2^2

1+3+5=3^2

1+3+5+7=4^2 

1+3+5+7+9=5^2 ↔ 4^2+3^2=5^2

1+3+5+7+9…+23+25=169=13^2 ↔ 12^2+5^2=13^2

※但し、全てのピタゴラス数がグノモンの和で表現できるわけではない点に留意。例えば(8,15,17)など。

-6C ピタゴラス ギリシア

完全数

ピラゴラスが完全数の名付け親とされる。

完全数とは、自分自身を除く約数の和が、自分自身に一致する整数である。

最初の完全数は6であり、その約数である1,2,3の合計と一致する。

2番目の完全数は28であり、その約数の和(1+2+4+7+14)は28と一致する。

ギリシア時代では4つ(6,28,496,8128)の完全数が知られていたとされる。

※聖書の研究者によると、完全数6は「神が世界を6日で創造した」ことに対応し、完全数28は「月の公転周期が28日である」ことに対応していると解釈される。

-6C

ピタゴラス

ピタゴラス教団

ギリシア

無理数の発見

正方形の対角線の長さ(√2)は、整数でも分数でも表すことができず、無理数の発見となった。ピタゴラスの教えの中に「すべての存在物は有理数で表すことができる」があったため、無理数の存在はトップシークレットとなった。しかし資金を集めるために家庭教師などをしているうちに自然に広まってしまったそうだ。

-5C アナクサゴラス ギリシア

円積問題

天文学者アナクシメネスの弟子アナクサゴラスは明晰で、天文学上の様々な現象を解き明かした。当時、天文学上(太陽の運行、月の満ち欠け、星の運行)のことは全て神の御業であると考えられていた。アナクサゴラスの研究姿勢は、一般市民には神を冒涜していると非難され、ついに投獄された。投獄の中、アナクサゴラスは円積問題(円と等しい面積を持つ正方形を作る)に取り組んだ。

-4C アンチフォン ギリシア 内接正多角形による円の求積

ソフィスト学派の1人であるアンチフォンは、半径1の円に内接する正多角形を考え、その正多角形の周長と面積を求めることで円周や円の面積に近似的に迫った。アンチフォンは、円に内接する正方形、次に辺の数を2倍した正8角形、続いて正16角形、正32角形、正64角形、正128角形と辺の数を増やていった。

-4C プリソン ギリシア 外接正多角形による円の求積

アンチフォンが内接正多角形で円周と円の面積を求めた一方、プリソンは外接正多角形により円周と円の面積に迫った。他の数学者はアンチフォンとプリソンの計算結果の相加平均をとれば本当の円周と円の面積が求められると考えたようです。

-4C アリストテレス ギリシア 円周率が無理数と予想 無理数とは、有限小数もしくは循環小数でなく分数表記できないとを意味する。
-4C エウドクソス ギリシア 取り尽くし法  
-385 プラトン ギリシア

アカデメイアを設立

※世界最初の大学

プラトンは師ソクラテスの刑死後、広く諸国を旅行し著名な数学者と親交を持った。イタリアではピタゴラス学派と出会い、キュレネではテオドロスを師として幾何学を学んだ。

ソクラテスは数学を重視していなかったが、プラトンは数学こそが自らの精神を鍛え論理を磨く最も意義深いものと考えた。帰国後、アカデモスの森の中に世界最初の大学アカデメイアを創始した。その入り口には「幾何学を知らざる者はこの門を入るべからず」と書き記した。

-332 アレクサンドロス大王 エジプト

アレクサンドリアの町を建設

 
-323 アレクサンドロス大王 エジプト アレクサンドロス大王、逝去 若き征服者であるアレクサンドロス大王は、バビロンの近くでマラリアにより死亡し、帝国は崩壊した。3人の将軍が彼の遺産を分割し、その一人であるプトレマイオスが豊かなエジプト地方の支配者となる。
  プトレマイオス エジプト

ムセイオンを設立

※アレクサンドリア図書館

アレクサンドリア図書館はムセイオンの付属機関であり当時最大の図書館である。最盛期には約40万巻のパピルスが収められた。
-300

ユークリッド

※幾何学の父

ギリシア

書物『幾何学原論(原論,原本)

(古代ギリシャ語:ストイケイア)

素数が無限個あることの証明

算術の基本定理

最大公約数・最小公倍数

ユークリッドの互除法

完全数

ユークリッドは古代ギリシアを代表する幾何学者で、プトレマイオス1世が統治していたアレクサンドリア(現エジプトの都市)の研究所ムセイオンで幾何学と数学を教えていたとされる。原論13巻の分厚さに驚いたプトレマイオス1世が「もっと手軽に幾何学を学ぶ方法はないのか」と尋ねたところ、ユークリッドは「幾何学に王道はございません」と答えたというエピソードが知られている。原論は一切の主観を排し、ひたすら厳格に論理の筋道を追い求めている。ユークリッドはそれまでの土地測量や天文観測から得られた多くの知見から基本的な命題を取り出し、簡単な命題から複座厚な命題へと並べ、後にくる命題はそれ以前の命題によってだけ証明できる、という幾何学の一大体系を構築した。

ユークリッド幾何学の原論では最初に5条の公理と公準(5公理・5公準)に基づき、全ての定理を導出する。しかし第5公準である"平行線の公準"については、古くから疑念を持つ数学者も見られ、後に非ユークリッド幾何学の発展につながる。

原論は幾何学の定理を体系的に証明したもの(論証幾何)だが、整数の性質(数論)についても述べている。

■素数が無限個存在することを証明

ピラゴラスが発見し、ユークリッドが原論で紹介したとされる。既知の素数を全て掛けて、1を加えて新たな自然数(素数とは限らない)を得る。この自然数の約数のうち、1より大きい最小の約数(割り切れる整数)を得れば、それは新しい素数となる。以上の操作を繰り返すことで、既知の素数から未知の素数を無限に作ることができる。2と3が既知素数として始める。

2*3+1=7、新たな素数は7

2*3*7+1=43、新たな素数は43

2*3*7*43+1=1807(素数でない)、新たな素数は13

この方法は素数の無限性は示されたが、素数を作る(判定する)方法として実用的ではない。すぐに巨大な数になり、最小の約数を見つける手間が掛かるためである。

※2015年時点、2から始めて、51番目まで計算できており、52番目は335桁の整数の素数の約数を見つける必要があり、時間がかかる。

■算術の基本定理

2以上の自然数は一通りの組み合わせ(順序は無視)で必ず素因数分解できる。このことから数学界において素数は"元素"の役割を担う。但し、素数は無限個存在する。

■ユークリッドの互除法 (最大公約数の導出方法)

約数(割り切れる自然数)・倍数の概念を発展させて、2数間の最大公約数・最小公倍数の概念を提示。最大公約数は2数をそれぞれ素因数分解して共通の構成要素となる素数の積として得られる。例えば126と98の最大公約数は次のように14となる。

126=2*3*3*7、98=2*7*7となり、共通の素数の積(2*7=14)が最大公約数

しかし巨大数を扱う場合、その素因数分解は困難であるがユークリッドは素因数分解を介さずに最大公約数を得る方法を編み出す(ユークリッドの互除法)。

2数同士(大きい方が被除数、小さい方が除数)で割り算し、割り切れるまで、除数と余りの関係を、被除数と除数として割り算を繰り返す。割り切れた時の商が最初の2数の最大公約数として得られる。最初の2数を126と98とする場合、

126/98=1(mod:28) ※被除数/除数=商(余り)

98/28=3(mod:14)

28/14=2(mod:0)

引き算で考える場合、

126-98=28

98-28=70,70-28=42,42-28=14

28-14=14,14-14=0

幾何学的には長方形(126と98)を最も大きな同じ大きさの正方形で埋める時の正方形の一片の長さが14となる。

■偶数の完全数 ※原論第9巻命題36

k番目の2^k-1(後のメルセンヌ数)が素数p(後のメルセンヌ素数)である時、2^(k-1)×pは偶数の完全数になるという定理を証明した。完全数を素因数分解すると、

6=2*3=2*(2^2-1)

28=2^2*7=2^2*(2^3-1)

496=2^4*31=2^4*(2^5-1)

8128=2^6*127=2^6*(2^7-1)

偶数の完全数=2^(k-1)*(メルソンヌ素数)

つまり、完全数の個数とメルセンヌ素数の個数は一致する。

※奇数の完全数は見つかっていない。

-3C アルキメデス ギリシア

円の面積の公式

極限の考え

アルキメデスは円の面積を出す方法として「円の半径を高さとし、円周の長さを底辺とする三角形の面積」を提唱した。つまり、1/2×半径(r)×円周(2rπ)=πr^2。この計算方法には細かく円を刻むことで円弧を線分と見立てる極限の考えが含まれている。

当時、円周率は厳密に知られていなかった。しかし円の面積を求めることが円周率を求めることに帰結したため、円周率を厳密に求めることの重要性が高まった。

-3C アルキメデス ギリシア

円周率の近似

(211875/67441≒3.14163)

※3.14までが正しい

アルキメデスは円周率の近似値は3+10/71<π<3+1/7であるとして、π≒211875/67441≒3.14163を求めた。

基本的な考え方は、直径1の円に対する内接正多角形と外接正多角形の挟み込みにより、円周率の取りうる範囲を両端から絞っていくことである。アルキメデスは正6角形(周長3)、正12角形、正24角形、正48角形、正96角形と近似していき、内接正96角形の周長から円周率は3+10/71よりも大きいことを発見した。次に外接正96角形の周長を計算して、円周率は3+1/7より小さいことを発見した。以上から小数で表すと、

3.140845...<π<3.142857...を求めた。アルキメデスの正96角形までの近似では、小数第2位までしか決定できず、円周率はだいたい3.14となった。

※この方法は、16世紀頃まで正多角形の辺数を増やして円周率の精度を高める研究がなされている。

-3C アルキメデス ギリシア

円錐:球:円柱=1:2:3

 
-212 アルキメデス ギリシア

アルキメデス、逝去

アルキメデスの祖国は戦争に負けた。敵国の兵士がアルキメデスの家に押し入った時に彼は床の上に図形を描いて研究していた。その図形を敵の兵士が踏んだので「その図形を踏むな」と思わず叫び、殺されてしまった。後日、敵国の国王は「惜しい人を殺してしまった」と悲しんだそうだ。

-200 エラトステネス ギリシア

エラトステネスのふるい

※素数表の作成

エラトステネスは、ある程度の大きさ自然数の中から素数を全て求める(選定する)方法として、効率的なアルゴリズムを考案した。これはエラトステネスのふるいと呼ばれる。

例えば、自然数60までの自然数を10行5列の表に描き、2の倍数、3の倍数、5の倍数、7の倍数という順に対象となる表内の非素数を消していく。この時、表において一種の図形的な規則性が見られ、目で見ても網羅性が分かりやすい。ここでの最大数は60であり、60の平方根は7.74…なので、60までで消されていない数は全て素数と決定される。

コンピュータが発明される以前の素数表の作成は、このエラトステネスのふるい、もしくはそれを改良した方法が用いられた。

-100   支那

書物『九章算術

ユークリッドの互除法