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年表_数学/情報_19-SH


■19世紀後半(1851~1900)

西暦 人物・機関 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1851        
1854 G.F.ベルンハルト・リーマン ドイツ

リーマン幾何学

1854年6月、ゲッティンゲン大学の就職講演『幾何学の基礎にある仮定について』において、n次元多様体やリーマン空間の概念を導入し、リーマン幾何学を世に問うた。この講演はガウスを始めとする教師陣に偉大な傑作と称賛され、1859年には33歳の若さで教授に選ばれた。残念ながらほどなく肺を患い39歳で世を去った。

1855 カール・フリードリヒ・ガウス ドイツ

ガウス、逝去

 
1866 G.F.ベルンハルト・リーマン ドイツ

リーマン、逝去

 
1882 フェルデナント・V.リンデマン ドイツ 円周率πが超越数と証明

係数が有理数の代数方程式の解に円周率πはなりえないことを、テイラー展開の公式を用いて証明した。これにより無理数のうち代数的無理数と考えられていた円周率πは超越数となった。

※約30年後、デンマークの数学者カントールも円周率が有理数でも代数的無理数でもないことを正しく証明し、円周率πが超越数であることを証明している。

1883 クリスティアン・ツェラー ドイツ

ツェラーの公式

※西暦から曜日を求める公式

 
1887 シュリニヴァーニ・ラマヌジャン インド

ラマヌジャン、誕生

 
1900 ルイ・バシュリエ フランス

論文『投機の理論』

ランダムウォークモデル(確率過程)

1900年、ソルボンヌ大学で書いた博士論文は投機の理論(Theory of  Speculation)であり、オプション価格について書かれていた。また時間経過に対する確率過程の理論、あるいは拡散プロセスの理論を発見。この理論は1905年にアルバート・アインシュタインが発見するブラウン運動の公式と同じものを指していた。

バシュリエの博士論文は、金融市場を題材にしたため博士論文に相応しくない異様なテーマだとされ、博士号を取得することはできなかった。1900年3月19日にパリで行われた数理科学に関する学位論文審査会では惨憺たる評価を受ける屈辱的な結果に終わり、結果としてブザンソンという田舎で大学の教員として一生を終える。

1960年代には、バシュリエが時間によって変化するランダムな不規則運動を数学的に表現する確率微積分(解析)の創始者だと認められたが、それまでは知られざる人物であった。

バシュリエの業績(オプション価格の研究)に影響を受けて、後に伊藤清は独自の確率微積分を編み出した。その伊藤の業績である伊藤の定理(伊藤の確率解析)を駆使して、ロバート・マートンがブラック=ショールズ方程式(オプション価格の公式)の数学的な正しさを証明した。