■18世紀後半(1751~1800)
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
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西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1756 | ||||
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1758 | ||||
1759 | ジョサイア・ウェッジウッド | イギリス | 陶磁器製作所、開設 | |
1760 | イギリス、産業革命/運河時代の始まり | イギリスで運河を利用した水運が盛んであった運河時代(1760年代~1830年代)であり、運河による物流の拡大は初期産業革命を支えた。 | ||
1760 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1761 | ジェームズ・ブリンドリー | イギリス |
※イングランド初の人工運河 |
イングランド最初の人工運河であり、その水源はウォーズリ炭鉱からの大量の排水である。この運河が稼働することで、炭坑の排水問題と石炭の輸送問題を同時に解決した。 |
1762 | ||||
1763 | ||||
1764 | ジェームズ・ハーグリーブス | イギリス | ジェニー紡績機 |
イギリス産業革命においてジェニー紡績機は繊維工業の発展を加速させた。ジェニー紡績機では糸を撚り合わせる紡錘が垂直に立っており、それをいくつも並べることで一度に何本もの糸を紡ぐことができた。ちなみにジェニーは妻の名であり、この機械の着想を生み出すきっかけとなったことが由来している。並べる紡錘の数は動力に依存し、最終的には80錘超を持つジェニー紡錘機が製作された。小型の機械でも労働者6~8人の作業量をになった。 |
1765 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1766 | ||||
1767 | トマス・ハイズ | イギリス | 水力紡績機(ウォーターフレーム) | |
1768 | ||||
1769 | ジェームズ・ワット | イギリス |
※最初の蒸気機関 ※単動式蒸気機関の一種 |
ワットはニューコメン機関の弱点を改良し、蒸気の力で大気圧以上の力を出す真の蒸気機関へ改良した。ニューコメン機関はシリンダー上部が開けっ放しで大気圧機関の域を出なかった。ワットはシリンダーを密閉することで素早く力強いストローク(上下運動)を実現した。また復水器をシリンダー外部に設置することでシリンダーの直接冷却を避ける仕組みにし、シリンダーを常時熱せられた状態を実現した。これにより石炭使用料量はニューコメン機関の数分の一に減った。 1780年代になると、ワット機関は本格的に製造・販売され、揚水ポンプの動力源として急速に普及する。結果、炭坑内を深く掘り進められることで石炭の産出量が増え、多くの熱を利用する製鉄業などの隆盛につながる。 |
1769 | ニコラ・ジョゼフ・キュニョー | フランス | ベンツのガソリンエンジン搭載の三輪自動車の完成(1886年)の100年以上早くに、パリ市街ではキュニョーが開発した蒸気自動車が轟音を立てて走っていた。世界初の自動車である。搭載されたエンジンはワットの蒸気機関ではなくニューコメン機関(大気圧機関)だったかもしれない。大型の馬車に近い図体の三輪車(前方一輪、後方二輪)で車体前部に蒸気エンジンが吊り下げられている。時速約6.5kmだったという。 | |
1769 | リチャード・アークライト | イギリス |
水力紡績機(ウォーターフレーム)の実用化 機械制紡績産業の構築 |
アークライトは、理髪師とかつら師をしていたが、途中で毛髪取引の仕事に転じた。農村の娘らから毛髪を買い取り、染料処理してかつら師にそれを売った。当時は"かつらの世紀"と呼ばれるほどかつらが流行していた。さてアークライトが製作した紡績機は、ワイアット=ポール機と似ていたが、その動力源として水力を用いた。当時の工場では馬力を利用した少数の機械があったが、水力ならば限界はないと考え、傘歯車を利用して紡績機に動力を取り込んだ。そのためこの紡績機はウォーターフレーム(特許申請は1769年)と呼ばれる。 しかし、アークライトの発明は他人の発明の模倣ないし盗作だったとされている。実際に1767年には水力紡績機を発明し製造していたトマス・ハイズの証言などで特許裁判では3度破れている。しかしアークライトは発明では盗賊であったが事業家としては成功し、当時イギリスで最も富裕な工場主となっていた。紡績工場では数百人の労働者が働き、数千の紡績が回った。アークライトは発明家ではないが、発明を紡績産業(機械制工業)に育て上げた点では評価されている。なおアークライトは特許裁判で敗訴した翌年(1786年)、ジョージ三世からナイトの称号を受けた。紡績業の発展と国と民の富を増やしたことが理由である。アークライトの死後の遺産額は、現代に換算すると数千億円とされる。 |
1770 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1771 | ||||
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1773 | ||||
1774 | ||||
1775 | ジョン・ウィルキンソン | イギリス |
高精度の中ぐり用旋盤 |
工場主であり発明家であったウィルキンソンは、隙間の小さい高精度な蒸気機関シリンダーを作ることが可能な中ぐり用旋盤を発明した。 中ぐり用旋盤で金属材料を回転させ、そこに固定した切削用の刃物(バイト)を接触させることで金属材料は筒状に加工される。ウィルキンソンの直径1.45mの中ぐり用旋盤を用いれば、誤差0.15mのシリンダーが生産できた。また砲身の製造にも利用された。 ウィルキンソンの中ぐり用旋盤では、刃物台を歯車で移動させるため、金属材料を削るにあたり双方の距離を調整する点で不便であった。 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1776 | ||||
1777 | ||||
1778 | ||||
1779 | サミュエル・クロンプトン | イギリス | ミュール紡績機 | |
1780 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1781 | ||||
1782 | ||||
1783 |
ジョゼフ・ミッシェル ジャック・エチエンヌ |
フランス フランス
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世界初の有人飛行に成功 |
モンゴルフィエ兄弟(兄:ジョゼフ・ミッシェル、弟:ジャック・エチエンヌ)が紙で裏打ちした直径約11m、重さ約230kgの麻の袋を藁を燃やして得た煙で膨らませると、袋は450m上昇し、約10分間ほど2.5kmを飛行した。次に、この熱気球に籠をつけ、羊一頭、鶏と家鴨を1羽ずつ乗せて、ルイ16世が見物する中、ベルサイユ宮殿から熱気球を飛ばし、着地に成功させた。飛行能力のない動物で初めて空を飛んだのは羊だった。 予備実験の成功を受けて、モンゴルフィエ兄弟が設計した熱気球で最初に空を飛んだ人間は、フランスのロジェとダルランドの2人である。彼らはパリ郊外上空を25分間、8kmほど飛行士、無事に着地した。 |
1783 |
フランス |
水素気球(ガス気球) 有人飛行に成功 |
モンゴルフィエ兄弟が熱気球の有人飛行に成功した同じ年の12月、ジャック・シャルルは空気より軽い水素を使っての水素気球に自ら乗り込み、有人飛行に成功した。水素は屑鉄に硫酸を混ぜて発生させるため、必要な量の水素を得るには数日がかりであったという。飛行準備の簡便さにおいては、熱気球の方が容易である。 |
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1784 | ジェームズ・ワット | イギリス | 複動回転式蒸気機関 | ワットは揚水ポンプだけでなく、産業多目的用の動力源として蒸気機関を活用することを考えた。そこでワットは往復運動を回転運動に変換する装置を考案した。回転運動を起こすことが可能になった蒸気機関は船にも使われるようになる。 |
1785 | エドモント・カートライト | イギリス | 力織機 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1786 | ||||
1787 | ジョン・フィッチ | アメリカ |
外輪式蒸気船 ※世界初、河川航行用 |
世界初の蒸気船を建造し、デラウェア川を航行。 |
1788 | ||||
1789 |
イギリス イギリス |
蒸気力紡績工場 | ||
1790 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1791 | ジョン・ハーバー |
イギリス |
ガスタービンの考案 | 石炭ガスを燃やして、その燃焼ガスでタービンを回すという原始的なガスタービンを考案。 |
1792 | ||||
1793 | クロード・シャップ | フランス |
腕木通信を考案・公開実験 ※空中通信、視覚通信 |
腕木通信(テレグラフ)では、この通信基地を約10km間隔で設置する。各基地には通信手が常駐し、望遠鏡(1608年にリッペルスハイが発明)を覗いて両隣の基地の信号を常時確認する。隣の腕木通信機の信号が変化したら、自分の基地の腕木通信機も同様の形状に人力で設定し、バケツリレー式に信号が遠方に伝わっていく。シャップはフランス政府高官の前で腕木通信の公開実験を行った。 腕木通信以前で最も高速な通信手段は、タクシス郵便のような騎馬郵便であった。 |
1794 | クロード・シャップ | フランス |
腕木通信線の開通 ※ヘッダ、タグの概念 |
シャップの腕木通信の公開実験の効果を認めたフランス革命政府は、腕木通信の採用を正式に決めて、1794年7月、パリとフランス北部リールの間(約200kmの間に合計21ヵ所の基地数)に最初の腕木通信線が開通した。この通信線は国有であり、民間のメッセージを送ることはできなかった。一つの信号をパリからリールに送るのに約120秒ほど要し、秒速1700m(マッハ5)ほどで情報伝達が可能であった。 |
1794 | エーデルクランツ | スウェーデン | シャッター式通信の開発 | フランスでのシャップによる腕木通信の成功は諸外国に伝わる。スウェーデンの詩人アブラハム・ニクラス・エーデルクランツは雑誌を通じてシャップの腕木通信を知り、同じく視覚に頼るシャッター式通信を開発した。 |
1795 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1796 | ||||
1797 |
※工作機械の父 |
イギリス |
工具送り台付き中ぐり用旋盤 | |
1798 | ||||
1799 | アレッサンドロ・ボルタ | イタリア |
電池 (電堆/ボルタ電池) |
ボルタは友人カルヴァーニの動物電気(1780年)の研究に触発され、電池の原理を解明した。カエルの脚は単なる検出器であり、電気の発生源は接触した2種の異なる金属である。ボルタはZnとCuのような2種の金属板で塩水に浸した紙やフェルトを挟み込んだものを積み上げた電堆(電池)を作り、電流が得られることを報告した。 ボルタは起電力は2種類の金属の組合せと一つの液体で決定し、物体の接触面の大小には関係しないことを示し、電流の流れの方向と起電力を決めるボルタの列(Zn-Pb-Sn-Fe-Cu-Ag-Au)を発表した。 |
1800 |