■20世紀第2四半世紀 (1926-1950)
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1926 | 日本 | 指向性アンテナ(八木宇田アンテナ) |
アンテナの利用はマルコーニに始まり、最初は単純に設置場所が高いほどよいと考えられていたが、八木と宇田は電波の波長との関係で導体の長さや配列の間隔が決まり、それが指向性や感度向上につながることを突き止めた。 八木宇田アンテナは、主アンテナの前に半波長よりやや短い導体を置くとその方向に電波の指向性が増し(導波現象)、逆に後方に半波長より少し長い導体を置くと電波を遮る(反射する)という仕組みである。導体間の間隔は1/4とされる。 八木宇田アンテナは八木と宇田の共同開発であるが、八木アンテナと呼ぶことが多く宇田の存在感は薄い。また製品を事業化した会社も八木アンテナという社名であり、特許も八木が単独で日本とイギリスで取得し、後にマルコーニ社に譲渡している(譲渡金の一部は宇田にも支払われている)。発明の優先権や発表論文の評価を巡り、八木と宇田の師弟間には亀裂が生じていたが、近年、宇田の貢献も考慮して八木宇田アンテナと呼ぶことも多くなっている。 |
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1926 | エトムント・ゲルマー | ドイツ | 蛍光灯のアイデア | |
1926 | ヘンリー・ウォレス | アメリカ |
ハイブリッド・コーンの販売 |
後の副大統領であるヘンリー・ウォレスはアイオワ州でハイブリッド・コーン・カンパニーを設立。農家にハイブリッド・コーン種子を販売する初の会社である。世界恐慌後に打ち出されたニューディール政策(1926年10月)に促されるようにハイブリッド・コーン種子はあっという間にコーンベルトに広まった。 ハイブリッド・コーンにより1940年代半ばまでにアイオワ州で栽培されるトウモロコシは全てハイブリッド種になった。1950年代半ばには全米のトウモロコシ畑の9割でハイブリッド種が栽培される。1960年代にはトウモロコシの収穫量は2倍になった。20世紀にトウモロコシの収穫量は爆発的に増加し、その半分はハイブリッド種の寄与で、残る半分は化学肥料、殺虫剤、機械化の寄与である。 ハイブリッド種の活力は一代限りのため、農家は毎年ハイブリッド種を購入する他なく種子メーカーにすっかり囲い込まれる結果となった。農場では翌年の作付けのために種をとる日々は過去のものとなった。 |
1927 | 日本 |
日本初、地下鉄の開通 ※東京の上野ー浅草間 |
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1930 | フランク・ホイットル | イギリス |
ジェットエンジンを考案 |
イギリス空軍技術将校であったフランク・ホイットルは、ガスタービンを用いたジェットエンジンを考案し、特許を取得した。これをもって速度型エンジンの実用化は軌道に乗り始める。 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1931 | アメリカ | エンパイア・ステート・ビル、完成 | ||
1935 | E.ハーバート・ランド | アメリカ | 人工偏光板(ポラロイド) |
大学生ランドは人工的に偏光板を作る研究を始め、1935年に安く作る方法を発明した。ランドは会社(ポラロイド社)を作って人工偏光板を商品名ポラロイド(polaroid)として売り出した。 ※偏光板が発明される以前は、科学者は上等な透明方解石(氷州石=アイスランド方解石)を使ったニコルの偏光プリズムや、電気石を特別な石の薄片状にした電気石偏光鏡を用いて 偏光を作り出していた。これらは高価であり大きな面積を得ることは難しかった。 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1936 | ||||
1937 |
フランク・ホイットル パワージェット社 |
イギリス イギリス |
ジェットエンジンの開発 ※世界初 |
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1937 | GE(ゼネラル・エレクトリック) | アメリカ | 蛍光灯の発売開始 | |
1937 | グリエルモ・マルコーニ | イタリア | マルコーニ、逝去 | 1937年、63歳でマルコーニはこの世を去った。マルコーニが亡くなった翌日、世界中の無線電信機器は2分間運用を止め、喪に服したという。 |
1938 |
デュポン社 |
アメリカ アメリカ |
合成繊維ナイロン | 1938年6月にデュポン社からポリアミド系繊維ナイロンが発表。石炭(フェノールの原料)と空気(窒素の原料)と水(水素の原料)とから、全く人工的に得られた、クモの糸より細く、鋼鉄よりも強く、絹よりも弾性に富む新しい繊維とされた。日本の米国への生糸輸出量は、ナイロン発明を契機に減少した。 |
1938 | 複写技術ゼログラフィーの発明 | |||
1939 |
第二次世界大戦、勃発 (1939年~1945年) |
【熱機関(エンジン)の進化】 速度型エンジン(ジェットエンジンやロケットエンジン)が実用化される。また容積型エンジンについても第一世界大戦で導入された機械式過給(メカニカル・スーパーチャージャー)に続き、排気のエネルギーを利用した排気タービン式過給(ターボチャージャー)が開発された。 |
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1939 | ハインケル社 | ドイツ | ジェットエンジン搭載機、飛行成功 | 第二次世界大戦直前の1939年8月末、ハイケンル社が独自開発したジェットエンジン搭載のHe178の試験飛行に成功。 |
1940 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1941 | ||||
1942 | メッサーシュミット社 | ドイツ |
ジェットエンジン搭載機、飛行成功 ※世界初の実用ジェット戦闘機 |
1942年7月、メッサーシュミット社がMe262の初飛行に成功。この機はその後ドイツ空軍に正式採用され、世界初の実用ジェット戦闘機となった。 |
1942 | ドイル |
ロケットエンジン搭載弾道ミサイル、完成 |
1942年10月、液体燃料ロケットエンジンを搭載した世界初の弾道ミサイルであるV2号が完成し、初飛行にも成功した。大戦末期にはイギリス国民を恐怖で震え上がらせた。 | |
1942 | イギリス軍 | - | 八木宇田アンテナの逆輸入 | 大東亜戦争の最中、シンガポールを占領した日本軍はイギリス軍のレーダーを捕獲した。押収したノートには"YAGI"という文字が頻繁に登場し、時折"YAGIエアリアル・アレイ"という術語が出てきた。捕虜に術語の意味を質すと、不思議そうな顔つきで「本当に知らないのか? YAGIとはこのアンテナを発明した日本人の名前ではないか」と答えた。無線技術で先進国だったイギリスはこの技術の有用性を見抜き、対日戦で実用化していたのである。 |
1942 | 日本 | 関門トンネル、開通 | ||
1945 |
(ポラロイド社) |
アメリカ |
インスタントカメラ (ポラロイドランド95) |
インスタントカメラを発明したランドはその特許をコダック社に買い取ってもらおうと考えたが、断られたため、自分の会社であるポラロイド社で商品化させた。商品名はポラロイトランドカメラとなり、偏光板(1935年に開発)と同様にポラロイドの名がつくことになった。 |
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1946 | ||||
1946 |
アメリカ陸軍 ペンシルベニア大学 |
アメリカ アメリカ |
電子計算機ENIACの開発 ※世界初の汎用コンピュータ |
アメリカ陸軍の委託によりペンシルベニア大学で開発された初の実用的な汎用電子コンピュータ。開発目的は大砲の弾道計算。約1.8万本の真空管を用いた総重量約30tの巨大設備であり、約160㎡の部屋に収められた。 |
1950 |