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年表_物理学/化学_20-Q4


■20世紀第4四半世紀(1976~2000)

西暦 人物 出来事 (発見/発表/発明/現象) メモ
1976

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

アメリカ

火星探査機バイキング1号

火星に軟着陸

バイキング計画

 
1977 Apple アメリカ パソコン、Apple II(アップルツー)の発売 70年代半ばに最初期のPC(個人向けコンピュータ)が登場し、1977年にApple IIがヒット。
1977

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

アメリカ

惑星探査機ボイジャー、打上げ

ボイジャー計画

ボイジャー1号は9月5日に打ち上げられ、ボイジャー2号は8月20日に打ち上げられた。

ボイジャー1号・2号には地球外生命に向けたメッセージが収められたレコードが搭載されている。

1977

宇宙開発事業団

(NASDA)

日本

日本初の静止衛星きく2号

軌道投入

 
1978

ジェームズ・クリスティー

アメリカ 冥王星の衛星カロン  
1978

ゲルト・ビーニッヒ

ハインリッヒ・ローラー

ドイツ

スイス

走査型トンネル電子顕微鏡(STM)

光学顕微鏡も電子顕微鏡も物体に何かの波を当てるという意味では、その観察原理は同じである。ここにブレークスルーをもたらしたのは、チューリッヒのIBM研究所にいた両氏である。走査型トンネル電子顕微鏡では電子を当てるのではなく、逆に試料表面から電子を吸い出す方式である。

先端を原子オーダーまで鋭く研磨したタングスタンの針をオングストローム単位で試料表面すれすれに近づけ、電圧を掛けて、トンネル効果によって電流(トンネル電流)を通す。トンネル電流の強弱により表面の凹凸形状(ミクロの地形)がオングストローム単位で読み取れ、表面の原子配列を高精度で観察可能とする。

【原子・分子の実在性】

20世紀初頭、反原子論者の勢いはそれなりに強く、マッハやオストワルトなど大物理学者でも原子の実在性を否定する人々がいた。原子とは化学反応を記述する上で便宜的に導入された記号に過ぎないという認識で、彼らが拠り所としたのはエネルギーであった。1905年にアインシュタインがブラウン運動の理論で原子・分子の実在性を示し、実際に1909年にはその理論をもとにペランがアボガドロ定数を実験的に求めたが、直接に見えるわけではなかった。STMの開発によって個々の原子が見えるようになり、反原子論者が納得するに足る成果と言える。

※2013年には、針と分子の間に生じる化学結合の引力を利用して分子を移動させながら、絵を描画してアニメーション(A Boy and His Atom)を製作している。

1978 日本航空 日本

リニアモーターカー(吸引式)

時速300km達成

日本航空は、東京都心と成田空港を結ぶ時速300kmの新交通機関として、1972年に吸引式磁気浮上車(HSST)の開発を着手。1978年には時速300kmを達成。超電導磁石を利用していないので、冷却用液体Heがいらないが、外部から絶えず電流供給が必要だった。1985年になり内外情勢からそれ以上の開発は断念。
1979 レイナー・ワイス アメリカ

干渉計型重力波検出器

(LIGO検出器)

重力波検出器として当時はジョセフ・ウェーバーが提案した共振型が主流であったが、レイナー・ワイスはマイケルソン干渉計(1887年)を改良した干渉計型重力波検出器(LIGO検出器)を提案した。重力波の観測帯域(波長)と感度の観点から言えば、LIGO検出器の観測帯域は広く、装置の大型化により観測帯域を維持したまま感度を上げられる。また光路には真空パイプがあればよいため共振型に比べて大型化が容易である。

※試作機を経て、重力波検出を本格的に目指すLIGOプロジェクトがスタートするのは1992年である。

1979

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

アメリカ

木星の環

1977年に打挙げられた惑星探査機ボイジャー1号と2号は木星に接近。木星にも環があることを発見。
1979

東京大学

宇宙航空研究所

日本

X線天文衛星はくちょう

打上げ

 
1979 スリーマイル島原発 アメリカ

スリーマイル島原子力発電事故の発生

炉心融解を伴う重大事故となり、原発の安全性に根本的な疑問が生じる。以降、2011年までアメリカで原子力発電所の新規建設計画は途絶える。
1979 日本国有鉄道(JR) 日本

リニアモーターカー(誘導反発式)

時速500km達成(無人型実験車)

宮崎県日向市の実験線で時速500kmを達成。超電導磁石を搭載した無人型実験車両(MLU001)は誘導反発式を採用し、線路上に並べた導体(Alの板)を通過する際の電磁誘導による磁気の反発力で浮上する。当然ながら、線路のAlの板には電流を流す必要はなく、車両にのみ強力な磁石があればよい。車両の磁石には液体Heで冷却し続ける超電導磁石を用意するため、外部から車両への電流供給は不要である。低速時には線路(Al板)との電磁誘導による反発力が弱いため車輪で走行し、十分な速度(時速150km程度)になれば磁気浮上に切り替える。

1993年には、新たに山梨県内に実験線を設け、実用車両による実験へ移行。

1980 イラン・イラク戦争、勃発(~1988年)  
1980 ウォルター・アルヴァレス アメリカ

恐竜絶滅の隕石衝突説

6500万年前の恐竜絶滅について、物的証拠とともに隕石衝突説を提唱。物的証拠とは白亜紀~第3紀の厚み1cmほどの粘土層であり、そこに多量のIr(イリジウム)が含まれていたこと。多量のIrは隕石により地球に持ち込まれたものと推察。

1981 佐藤勝彦 日本

インフレーション理論(再加熱を伴った指数関数的膨張宇宙モデル)

※量子宇宙論のはしり

佐藤は"再加熱を伴った指数関数的膨張宇宙モデル"(インフレーション理論)を提唱。真空の持つエネルギーが初期宇宙の指数関数的な急膨張(インフレーション)とビッグバンをもたらしたと考える、宇宙の進化モデル(インフレーション理論)を提唱。

1981

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

アメリカ

スペースシャトルの打上げ開始

1972年に得たスペースシャトル計画開始の承認から、ようやく1981年に初打ち上げに漕ぎつける。ニクソン大統領(1969年~)以降のデタント(緊張緩和)路線のため思うように予算は通らず、予算不足のため計画は大幅に遅れた。

1982

アラン・アスペ

フランス

EPRパラドックスの解決

※遠隔作用の発見

EPSパラドックスが発表(1935年)されて半世紀近く経った1982年にアスペにより、遠隔作用が実際に存在することを実験的に確認した。アスペはベルの不等式が成り立たないことを証明し、光速度よりも情報を速く伝えることを認める量子論が正しいことを示した。

1982 ダニエル・シェヒトマン イスラエル

準結晶

 
1982 アレキサンダー・ビレンキン ソ連

無からの宇宙創成論

トンネル効果を用いて宇宙は無から生まれたとする無からの宇宙創成論を提唱。

1983 国際度量衡局  

メートルの再々定義

基準は光速度

新たなメートルの定義は、1/299792458秒間に光が真空中を進む距離とした。特殊相対性理論の土台である光速度不変の原理に依拠し、光源の種類に依存せず、将来的な測定技術の進歩によって定義の再改定を必要としない定義となった。

※測定精度は技術進歩に伴い向上しており、現在は1m当たりピコ・オーダーであり地球直径(約1.27万km)に対して0.26mm(シャーペンの芯の太さほど)の精度。

1983

欧州原子核研究

機構(CERN)

カルロ・ルビア

シモン・ファン・デル・メーア

欧州

イタリア

オランダ

ウィークボソン(WボソンとZボソン)

※電弱統一理論の実証

電弱統一理論(1967年)から予言されていた弱い相互作用(粒子の種類を変える力)の媒介粒子であるウィークボソン(WボソンとZボソン)が、CERN(欧州原子核研究所)の実験により発見された。

Wボソンは陽子の約80倍の質量を持ち、Zボソンは陽子の約90倍の質量を持つ。

1983

スティーヴン・ホーキング

イギリス

無境界仮説

宇宙は虚数の時間において生まれたと考えれば、宇宙の始まりが特異点(温度や密度が無限大になる極微の一点、ここではあらゆる物理法則が破綻している)になることが避けられるという無境界仮説を提唱。

1983

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

オランダ航空宇宙計画局(NIVR)

イギリス●●(SERC)

アメリカ

オランダ

イギリス

赤外線天文衛星IRAS、打上げ

 
1983  

日本

神岡核子崩壊実験観測装置

(カミオカンデ)、稼働開始

大統一理論が予言する陽子崩壊の観測のため岐阜県神岡鉱山の地下1000mにカミオカンデ(神岡核子崩壊実験観測装置)が建造された。カミオカンデは3000tの超純水を蓄えたタンクの壁面に1000本の光電子増倍管が設置され、陽子崩壊に伴うニュートリノの発生を検出することを目的としている。
1883        
1985 欧州宇宙機関(ESA) 欧州 ハレー彗星探査機ジオット、打上げ  
1985   日本 彗星探査機さきがけ、打上げ   
1985   日本 ハレー彗星探査機すいせい、打上げ  
1985 S.チュー アメリカ

レーザー冷却

 

1985 

カール

クロトー

スモーリー

アメリカ

イギリス

アメリカ

フラーレンC60

 
1985    

オゾンホール

 
1986

ハレー彗星、回帰

 
1986

チェルノブイリ原発事故、発生

 
1986

ヨハネス・G.ベドノルツ

K.アレクサンダー・ミューラー

ドイツ

スイス

高温超伝導物質

転移温度が27Kの超伝導体(Cu,La,Baの酸化物)を発見した。さらにBaをSrに置換すると37Kまで上がり、従来の記録(23K)を大幅に更新した。転移温度の水準はBCS理論の想定内(上限は40K前後)であるが、今まで研究されなていなかった物質であることや、さらに転移温度を引き上げる改良の余地があると見られ、注目が集まった。

実際、わずか1年後に転移温度が90K超の高温超伝導体が発見され、理論上限を大幅に超える高温超伝導体の発見につながった。

1986

欧州宇宙機関(ESA)

欧州

彗星探査機ジオット

ハレー彗星の中心核を撮影

1985年に打ち上げられた彗星探査機ジョットは、1986年3月14日、ハレー彗星が吹き出すガスと塵の中に突入し、中心核(彗星核)まで約600kmのところを通過し、核の撮影に成功した。地球に送信された画像データによると、中心核は縦が約15km、横が約7-10kmで、ピーナッツ形状のような形をしていた。エドモンド・ハレーがハレー彗星の公転周期を発見(1705年)して、3世紀後の快挙であった。

なおハレー彗星接近に伴い、欧州のみならず各国(アメリカ、ソ連、日本)が国際協力の中でハレー彗星の観測を行っている。この時、ハレー彗星観測に使用された宇宙探査機群をハレーアルマダ(ハレー艦隊)と呼ぶ。

【彗星は太陽系の化石】

彗星は太陽系の化石と形容される。それは46億年前、太陽系誕生時の物質の情報をそのまま保持していると考えられるためである。一方、惑星や衛星は重力により微惑星が引き寄せ合って衝突と合体を繰り返しながら形成されるため、太陽系誕生時の物質の状態は大きく変化している。

1986

アメリカ航空宇宙局(NASA)

アメリカ

ボイジャー2号、天王星に最接近

 
1986 アメリカ航空宇宙局(NASA) アメリカ

チャレンジャー号の事故

スペースシャトル25回目の飛行に臨んだチャレンジャー号は打上げ73秒後に空中分解。7名の宇宙飛行士全員を喪う事故となる。打上げ日の気温が低いため固体ロケットブースターの中のOリング(ゴム製の部品)の弾力性が失われ、燃焼ガスが漏れたことが原因。

1986   ソ連

チェルノブイリ原子力発電所の事故

最終的に数千名~数万名ともいわれる犠牲者を出した史上最悪の原子力発電事故。

1987

大マゼラン星雲に超新星が出現

1987年2月下旬、天の川銀河の子供銀河(伴銀河)である大マゼンラン星雲に超新星1987Aが現われた。近代的な光電技術を持つようになって初めて現れた超新星である。
1987 小柴昌俊 日本

カミオカンデ、超新星爆発ニュートリノを世界初観測

ニュートリノ天文学の始まり

1983年に岐阜県の神岡鉱山地下に核子崩壊実験装置(カミオカンデ)が建造され、稼働していた。その目的は大統一理論が予言する陽子崩壊に伴い生じるニュートリノを検出するためであった。また一方で、天の川銀河の中心で超新星爆発が起きれば、カミオカンデにより超新星ニュートリノが200~300個ほど検出できるはずと考えられていた。

1987年2月下旬に実際に超新星が現われた場所は、天の川銀河ではなく、その伴銀河である大マゼラン星雲であった。地球から16万光年離れた大マゼラン星雲の超新星1987Aは、天の川銀河の中心よりも5倍ほど遠いので、超新星出現から1~2週間でニュートリノは10個位は観測できると予測された。カミオカンデは2月23日16時35分の13秒間に超新星ニュートリノを11個ほど検出した。その後カミオカンデの検出時刻の周辺を調べることで、IMBグループ(アメリカ)が8個、バクサン(ロシア)が5個見つけ、カミオカンデの検出は独立した2機関によって確かめられた。

ニュートリノ仮説は1931年にヴォルフガング・パウリによって提唱されたが、超新星爆発によってその存在が実証された。

1988 田中耕一 日本

マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI)

 
1989 ベルリンの壁、崩壊  
1989

マーガレット・ゲラー

ジョン・ハクラ

アメリカ

アメリカ

グレートウォール

3億光年離れた 
1989

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

アメリカ

宇宙背景放射探査衛星COBE、打上げ

1989年11月18日、ビッグバン理論の証拠である宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の観測ため、宇宙背景放射探査衛星COBE(コービー,Cosmic Background Explorer)を打ち上げた。COBEはExplore66という別名を持つ。

宇宙論的な観測を目的とした初の衛星であり、宇宙背景放射を観測し、宇宙の形状、構造などを探る測定データを得ることを目指した。1992年には宇宙誕生初期の極めて僅かな宇宙背景放射のゆらぎ(平均温度2.73Kの10万分の1ほど)を観測し、今日の宇宙の銀河団や広大なボイドの形成の重要なデータを収集した。

※2001年6月には、COBEの後継機であるWMAPが打ち上げられる。

1989

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

アメリカ

木星探査機ガリレオ、打上げ

 
1989

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

アメリカ

ボイジャー2号、海王星を通過

海王星の環

1977年に打上げられたボイジャー2号が、12年後の1989年に海王星の近傍通過に成功。

1990    

フラーレンC60の大量生成法

 
1990

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

アメリカ

ハッブル宇宙望遠鏡の打上げ

 
1991 ソ連、解体

ソ連解体により東西冷戦構造が崩れ去る。

1992

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

アメリカ

宇宙背景放射のゆらぎ

※宇宙の種

※インフレーション理論の証拠

1989年に打ち上げた宇宙背景放射探査衛星COBEは、宇宙マイクロ波背景放射(3K輻射)に約10万分の1ほどの僅かな温度(マイクロ波)分布のゆらぎがあることを発見した。現在の宇宙の構造物の種となった"ゆらぎ"が確かに存在することは、インフレーション理論(1981年)の正しさを示す証拠とも言える。

※COBEによるゆらぎの観測結果は宇宙論の歴史に残る大発見であるが、その空間分解能は8度で粗いピンボケの写真であった。2003年に後継機であるWMAP衛星により高精度観測がなされる。

1992

カリフォルニア工科大学

マサチューセッツ工科大学

アメリカ

アメリカ

レーザー干渉計重力波観測所(LIGO)プロジェクト、始動

両大学が主導でLIGO(ライゴ)という重力波観測施設の建設プロジェクトがスタート。LIGOはレーザー干渉計重力波観測所(Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatory)の頭文字から取った略称。実際の重力波の観測は10年後の2002年から始まる。またLIGOは何度かのアップグレードを経て2015年9月に初の重力波検出に成功する。

【重力波の検出から分かること】

既存の電磁波を見る望遠鏡(例えば、電波望遠鏡、赤外線望遠鏡、X線望遠鏡など)に対して、重力波望遠鏡で期待される最大の成果は、宇宙開闢(約138億年前)の最初の38万年間の宇宙の様子の解明にある。これは高エネルギー密度の最初の38万年間は、光は真っすぐに進めないので、その時代の古い光を見たところでボヤてしまう。一方、重力波は宇宙開闢時から真っすぐに進むため光ではボケで見えなかった38万年間を、重力波でははっきりと聞くことができる。天体観測として期待される重力波源は、中性子星連星、超新星爆発、ブラックホール連星等があり、いずれも星の一生と関係深い天体だ。超新星爆発やパルサーと呼ばれる中性子星は、電磁波を出すため既存の電磁波望遠鏡でも観測可能であるが、重力波望遠鏡と組み合わることで星の形態変化(中性子星連星からブラックホールへ)を時系列で説明できる証拠が得られるだろう。また超新星爆発では、電磁波と重力波の地球への到着時刻を比べることで、重力波が電磁波と同様に宇宙の制限速度(最高速度)である秒速30万kmで伝わっているのかを高精度で確認する機会となる。

1993    

系外惑星

 
1993 中村修二 日本

青色発光ダイオード

GaN(窒化ガリウム)を用いて青色発光ダイオードを開発。
1993   アメリカ

超伝導超大型粒子加速器(SSC)

計画、頓挫

SSC(スーパーコンダクティング・スーパーコライダー,超伝導超大型粒子加速器)計画は1982年に骨子案が出され、テキサス州ダラス郊外で建設中だったが1993年のクリントン政権下で建設中止が決定。円周長約87kmの地下リングで山手線2.5周分、円周内部面積は東京23区に相当。陽子エネルギーは20TeV。この加速器のに期待された研究課題として質量の起源(なぜ物質に質量があるのか)、ヒッグス粒子の発見がある。
1994

丸山茂徳

深尾良夫

大林政行

日本

日本

日本

プルームテクトニクス(プルーム仮説)

地球のマントル(卵で言う白身の部分)において、マントルの底(=外核表面)であるグーテンベルグ不連続面から高温のホットプルームがマントルへ沸き出し、逆に低温のコールドプルームはマントル下部へ下降するという構造的な運動を繰り返す「プルームテクトニクス」を提唱。

マントルは固体で、マントルの下にある外核は液体である。通常、マントル内でのプルームの移動は柔らかく流動的な下部マントル(地下670㎞~地下2900㎞)で起こり、硬い上部マントルでは起きない。しかし、上部マントルを突破し地表に届くプルームがあり、スーパープルームと呼ばれる。固体のプルームは地表に近づくと減圧され、液体のマグマとなる。

1995

阪神・淡路大震災

 
1995

欧州原子核研究

機構(CERN)

欧州

反水素原子の合成

⇒反陽子+反電子

※9個、1億分の4秒間保持

反粒子(反電子や反陽子など)の生成は、自然界では高エネルギーのガンマ線が生じる宇宙線や原子核崩壊(弱い力の作用)で得られ、人工的には加速器で得られる。しかしこの宇宙の大部分は正粒子で満たされるため、反粒子は発生してもすぐに正粒子と結合し、両粒子の質量エネルギー分の光に変換される。そのため自然に反原子が生じ、安定に存在する可能性は低く、人工的に合成するほか存在しえない。

1995年、欧州のCERNの加速器内で発生させた光速に近い速度の反陽子をキセノン原子に衝突させて、核反応で飛び出した陽電子と結合させることで9個の反水素原子が合成された。それら反水素原子がその状態を維持する時間は誕生から1億分の4秒であり、その後は普通の物質と接触して光に変換された。反水素原子を合成しても、それを長時間維持することが難しい。

1995

コーネル

ワイーマン

アメリカ

アメリカ

ボース=アインシュタイン凝縮の実現

ボース統計に従う気体を、気体状態のまま極低温に冷却すると全気体原子が一斉に最低エネルギー状態にまで落ち込み、エネルギー的な凝縮が見られる現象。レーザー冷却法と蒸発冷却法など冷却技術を組み合わせ、実際に起きることを確認。

1995

アメリカ航空宇宙局

(NASA)

アメリカ

宇宙ステーション「ミール」に、

スペースシャトルが初ドッキング

 

1996

フランス国立科学研究

センター(CNRS)

イタリア核物理学

研究所(INFN)

フランス

イタリア

欧州重力波望遠鏡(VIRGO)、

建造開始

後にEGO(欧州重力波観測所)が統括する欧州の重力波観測施設であるVIRGO(バーゴ)の建造が開始される。採用された重力波検出器はLIGO同様、マイケルソン干渉計型である。

1996

東京大学宇宙線

研究所(ICRR)

日本

超神岡ニュートリノ検出実験観測装置

(スーパーカミオカンデ)、稼働開始

超神岡ニュートリノ検出実験観測装置(スーパーカミオカンデ)は、大マゼラン星雲からの超新星ニュートリノを検出したカミオカンデの後継機で、カミオカンデの30倍の大きさ(タンクの貯水量は10000トン)を誇る水チェレンコフ光検出器である。

※スーパーカミオカンデは、カミオカンデの目的(陽子崩壊の観測)を引き継ぎ超神岡核子崩壊実験観測装置という意味も込められる。

1997

ラモロー

アメリカ

カシミール効果

 
1997

理化学研究所

(RIKEN)

日本原子力研究所

(JAERI)

日本

日本

シンクロトロン大型放射光施設

(SPring8)、稼働開始

1997年に理研と日本原子力研究所が兵庫県の西播磨にSPring8を竣工。当時、SPring8は世界最強の大型放射光施設として登場し、現在もその地位は不動。加速した電子を溜める蓄積リングの周長は約1.4km。名前の8は蓄積リングに溜められる電子エネルギーが最大8GeVであることに由来する。

放射光とは加速させた電子が曲がる際に接線方向に放出される光を指し、電子の加速を落とす邪魔者であったが、SPring8では有用な光源として活用される。完成当初、電子顕微鏡の1億倍よく見える光源と言われ、その肝は電子を揺さぶる超強力磁石からなる挿入光源(真空封止型アンジュレータ)である。

1998

ソール・パールマッター

ブライアン・P.シュミット

アダム・ガイ・リース

アメリカ

オーストラリア

アメリカ

宇宙の加速膨張

アメリカのローレンス・バークレー国立研究所の超新星宇宙論プロジェクトチーム(リーダー:パールミッター)と、オーストラリアのマウントストロムロ天文台の高赤方偏移超新星探査チーム(リーダー:シュミット)は、宇宙の膨張スピードが加速しているとする観測結果をそれぞれ独立して発表した。

宇宙の膨張は、1929年にハッブルにより実証されたが、物質同士の重力によって次第にブレーキがかかるもの(減速膨張)と推測されていた。しかし今回の発表では、約70億年前から加速膨張に転じたという予想外の内容であった。

※宇宙は約137億年前に誕生

観測結果は、1990年に打上げられたハッブル宇宙望遠鏡によって得られた。

【加速膨張の斥力について】

宇宙の加速膨張の発見は、重力を振り切り宇宙を膨張させようとする未知の斥力の存在を示唆する。一応、この原因をダークエネルギーと呼び、ダークエネルギーは宇宙に一様に広がっているとされる。また1937年にツビッキーが銀河団の観測から存在を示唆した暗黒物質(ダークマター)とは、宇宙に局地的に未知の重力源である。従って、ダークマターは宇宙を収縮させる引力として働き、ダークエネルギーは宇宙を(加速)膨張させている斥力として働くと想定している。

【アインシュタインの宇宙項の復活】

1910年代、アインシュタインは静的な宇宙観を信じて、彼の重力場方程式に物理的根拠のないまま宇宙項を導入したが、ハッブルの発見(宇宙の膨張)に伴い宇宙項は撤回した。しかし、ここにきて重力を振り切るほどの斥力の作用を担う宇宙項が、ダークエネルギーと名を変えて蘇る可能性がある。個人的には、ハッブルの宇宙膨張の発見(1929年)の時でさえ、斥力をもたらす項として宇宙項は残すことはできたと思う。

【宇宙膨張を示す根拠】

1929年にハッブルが宇宙膨張を示すために、観測対象となる星の絶対光度をセファイド型変光星を頼りとしたように、宇宙加速膨張では星の絶対光度をIa型という超新星を頼りとした。Ia型は超新星の中でも非常に明るく、属する銀河全体と同じくらいの輝きを示すので、遠方にあっても高い精度で観測でき、宇宙のはるか遠方(過去)の情報が得られる。またIa型は観測データの蓄積から絶対光度が正確に知れており、距離を求める基準光源に適している。Ia型が現われた銀河の赤方偏移から後退速度を求めると、宇宙の膨張が宇宙誕生以降、どのように変化したか調べられる。

1998

戸塚洋二

梶田隆章

日本

ニュートリノ振動

ニュートリノの質量の確認

※暗黒物質の候補の否定

神岡鉱山に設置されたスーパーカミオカンデは、太陽からのニュートリノ(太陽ニュートリノ)や大気中で発生するニュートリノ(大気ニュートリノ)を調べることで、3種類(電子型、ミュー型、タウ型)存在するニュートリノが互いに異なる種類に入れ替わる振動(ニュートリノ振動)を発見した。さらにニュートリノは確かに質量を持っていることも確認された。

太陽ニュートリノから来る電子型ニュートリノが予想された数よりも6割も少なかく、電子型からミュー型に変化したと考えるまた大気ニュートリノではミュー型ニュートリノが電子型ニュートリノの2倍程多く作られるが、予想よりもはるかに少なかった。

※大気ニュートリノとは、宇宙線が大気上層部で空気分子(窒素や酸素)と衝突してπ中間子が作られ、そのπ中間子が壊れる際に発生するミュー型ニュートリノや電子型ニュートリノを指す。

【暗黒物質の有力候補】

ニュートリノは長らく暗黒物質の有力候補として考えられ、ニュートリノが暗黒物質ならば質量は20eV程度であることが期待された。ニュートリノの質量は、軽い方から電子型、ミュー型(0.003eV)、タウ型(0.1eV)であったことから、ニュートリノで暗黒物質の説明は難しい。

1999

アントンツァイリンガー

オーストリア

フラーレンC60の干渉縞 炭素原子60個がサッカーボール形に集まったC60分子(フラーレン)を用いて干渉縞を作り出すことに成功。
2000 国立天文台(NAOJ) 日本

すばる望遠鏡、稼働

ハワイ島マウナケア山に建設された口径8.2mのすばる望遠鏡が稼働開始。
2000 国際宇宙ステーション 国際

国際宇宙ステーションでの居住開始