■20世紀第3四半世紀(1951~1975)
西暦 | 人物 | 国 | 出来事 (発見/発表/発明/現象) | メモ |
1951 | チャールズ・タウンズ | アメリカ |
メーザー実用化の着想 |
タウンズは、アインシュタインの誘導放射理論の実証に挑んだ。マイクロ波を増幅する装置(メーザー)の着想を得る。 |
1951 |
アメリカ アメリカ |
コンピュータ、UNIVAC I(ユニバックワン) | 世界初のコンピュータENIACの開発者だった両名は起業し、データ処理用のコンピュータであるUNIVAC Iを発明。政府や軍のみならず保険など民間企業への納入が始まる。 | |
1951 | ペロン大統領 | アルゼンチン |
核融合発電? (間違い) |
アルゼンチンのペロン大統領は「我が国はウランを必要としない新たな原子力発電を開発した」と声明を出した。この発表は核融合を用いた水爆の開発に取り組むアメリカとソ連に大きな衝撃を与えた。 |
1952 | 福井謙一 | 日本 | フロンティア軌道論 | 量子力学を用いて化学結合や化学反応を理論的に説明するフロンティア軌道論を提唱。 |
1952 | アメリカ |
※原爆起動の水素熱核融合爆弾 |
マーシャル諸島のエニウェトク環礁で人類初の水爆実験(アイビー作戦)が成功。マイク実験(11月1日)とキング実験(11月6日)があり、前者が水爆実験に該当。原爆(核分裂爆弾)を起爆装置として作り出した高温高圧環境のもと液体重水素の熱核融合反応を誘発させる多段階式熱核融合兵器。 | |
1953 | デンマーク |
原子核の集団運動模型 |
原子核の既存モデルであった殻模型と油滴模型を統合したモデルとして集団運動模型を提唱した。 | |
1953 | 高橋信次 | 日本 |
X線回転横断撮影装置 |
弘前大学の高橋信二教授は、世界初のX線による人体の断層撮影装置を開発。 |
1954 | アメリカ海軍 | アメリカ | 初の原子力潜水艦ノーチラス、進水 | |
1954 | ソ連 | ソ連 |
初の原子力発電所、運転開始 |
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1954 | チャールズ・タウンズ | アメリカ |
メーザーの開発 |
メーザー(放射の誘導放出によるマイクロ波増幅) |
1954 | 欧州 |
設立 |
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1955 | 1955年7月9日、ロンドンにて第一級の科学者ら11人の連名で米ソ水爆実験競争に対して提示した核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文。 | |||
1955 |
アメリカ アメリカ |
反陽子(反水素原子核) | セグレは、カリフォルニア大学バークレー校の加速器ベバトロン(6GeV)を用いて同僚のチェンバレンとともに陽子散乱実験を実施。陽子と質量・スピンが同じで負の電荷を持つ反陽子を発見した。 | |
1955 | ダイナモ理論 | |||
1955 | トレイシー・ホール | アメリカ | 人工ダイヤモンド | |
1955 | アイゼンハワー大統領 | アメリカ | 人工衛星打上げ計画の承認 |
1957年7月~1958年末にかけて太陽活動が極大期に当たることから、世界各国の科学者が集まった国際学術連合会議で、国際地球観測年(IGY)と名付けて、世界各国が協力して地球物理学的な諸現象を地球全体で観測することを決めた。太陽活動の影響は高層大気に現れるため、アメリカはロケットによる観測に多くの国が参加するよう要請した。1955年、アイゼンハワー大統領は、国際地球観測年の期間に人工衛星を打ち上げる計画を承認した。それに対してソ連の科学アカデミーも人工衛星を打ち上げると発表した。 |
1955 |
東京大学生産技術研究所 |
日本 日本 |
日本、宇宙開発の始まり |
国際地球観測年(IGY)への参加の呼びかけに対して、文部省は日本でロケット開発し、超高層観測を行うことを考え、当時、ロケット輸送機の研究を行っていた東京大学生産技術研究所に観測ロケットの開発を打診した。糸川英雄をリーターとする観測ロケット研究開発体制をスタートした。1955年4月には、長さ23cmのペンシルロケット発射の公開実験を実施。 |
1955 | アルベルト・アインシュタイン | ドイツ | アインシュタイン、逝去 |
1955年4月18日、アインシュタイン逝去。 アインシュタインが亡くなる二週間前の1955年4月、アメリカの科学史家I.バーナード・コーエンはアインシュタインの自宅に訪れ、最後のインタビューをした。自宅の壁には特殊相対性理論(1905年)を作り出す端緒となった電磁気学の創設者であるマイケル・ファラデー(→電磁誘導の法則/1831年)とジェームズ・クラーク・マクスウェル(→マクスウェル方程式/1865年)の写真が飾られていた。 |
1956 | 国際度量衡局 |
時間の再定義 地球の公転が基準 |
地球の1回の自転に要する時間(一日)の1/86400を1秒と定義してきたが、地球の自転スピードは一定でないことが分かってきた。そこで新たに1秒を「地球の1回の公転に要する時間(1年)を31556925,9747秒」と定義した。 | |
1956 | ブルース・コーク | |||
1956 |
アメリカ アメリカ |
原子炉から発生するニュートリノの検出に成功。 | ||
1956 |
中華民国 中華民国 |
パリティの非保存を指摘 |
素粒子の崩壊過程(弱い力が働く過程)では、パリティは保存しない可能性があることを理論的に指摘。 |
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1956 |
シーグバーン |
スウェーデン |
X線光電子分光法 |
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1956 |
黒田和夫 |
日本 |
天然原子炉の理論 |
地球化学者の黒田和夫は、ラン鉱床が天然原子炉となる条件を提示した。原子炉が臨界状態に至るには、235ウランの濃縮と、減速材(熱中性子の発生)の存在が要である。かつてエンリコ・フェルミは、非濃縮ウランで減速材などを工夫して最初の原子炉(シカゴ・パイル)の臨界を達成(1942年)し、現代の原子力発電所では遠心分離機で濃縮率3%程度にした濃縮ウランと、減速材として普通の水(軽水)を利用している。 さて天然原子炉の稼働は、濃縮ウランと減速材として軽水を前提とする。235ウランの半減期は7億1千年であり、238ウランの1/6である。つまり地球誕生時の約46億年前のウランに含む235ウランの同位体比率は20%超(核兵器に利用可能な水準)であり、現代の原子力発電所の濃縮ウランの濃縮率3%に相当するのは約20億年前となる。この時代には、自然に濃縮ウランがあり、そこに地下水があれば減速材として働き、現在における軽水炉の条件が整う。また地下水は制御棒の役割を果たす。温度上昇で地下水が蒸発すれば減速材がなくなり原子炉は臨界条件を満たせず停止する。そして冷えて再び地下水が満ちれば、原子炉は臨界条件を満たし再び稼働開始する。 |
1957 |
国際地球観測年 (1957年7月1日~1958年12月31日) |
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1957 |
イギリス イギリス イギリス アメリカ |
論文『B2FH論文』 ※星の元素合成の理論 |
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1957 |
アメリカ アメリカ アメリカ |
超伝導の発見(オンネス/1911年)から半世紀近く経過して理論的な説明がなされた。物体の温度を下げると、原子に束縛されない自由電子(フェルミ粒子の一種)の間に引力が発生し、対を形成(クーパー対と呼ぶ)しながら結晶内を移動するようになる。クーパー対となる2個のフェルミ粒子(電子)は、パウリの排他原理に縛られない1個のボース粒子として働く。従って、低温時には結晶内の多数のボース粒子(クーパー対)が同じエネルギー状態に折り重なり、コヒーレントな一つの電子の波となることで超伝導状態は引き起こされる。BCS理論によれば、物質の転移温度(超伝導になる温度)は高くても40K程度と考えられた。 |
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1957 |
日本 |
トランジスタはゲルマニウムに極めて微量の不純物を混ぜるため技術上の困難があった。そんな中、江崎は不純物の量を増やしても同様の効果が得られることを発見し、エサキダイオード(トンネルダイオード)を発明した。 ※ダイオードは不純物が増すと電圧を高くしないと電流が流れないのが普通である。 |
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1957 |
ソ連 |
ソ連 |
ソ連のコロリョフは、核弾頭を搭載できる射程8000kmの大陸間弾道弾ミサイル(CIBM)であるR-7の開発に成功した。R-7はまず5機打上げが試みられた。1機目は発射後60秒は正常だったがその後燃料漏れで火災を起こし失敗。2機目はエンジン始動に失敗して不発。3機目は発射後33秒でロケットの姿勢制御が不安定になり失敗。4機目と5機目は、ほぼ目標地点まで飛翔することに成功。これをもって次に人工衛星の打上げが決まった。 |
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1957 |
ソ連 |
ソ連 |
人工衛星スプートニク1号、 打上げ成功 ※世界初の自国打上げ |
1957年10月4日、人工衛星(宇宙船)スプートニク1号を載せたR-7ロケットが発射された。ロケットエンジンの燃焼終了後、スプートニク1号から電波が受信され、衛星軌道に乗ったことが確認された。スプートニク1号に搭載された電池の寿命は3週間で、衛星内部の温度を送信した。約3ヵ月後の1958年1月4日、大気圏に再突入して消滅した。 冷戦の中、ソ連はアメリカに先んじて人工衛星打上げに成功したことは、アメリカ国内でスプートニク・ショックとして広まり、宇宙開発の政治的な意味での重要性を認識した。以後、アメリカでは研究開発予算が大幅に拡充される。 |
1957 |
ソ連 |
ソ連 |
人工衛星スプートニク2号、 打上げ成功 ライカ犬の世界初の宇宙飛行 ※世界初の生物搭載 |
宇宙船スプートニク1号の成功に続き、11月3日に宇宙船スプートニク2号を打ち上げた。ここに搭乗したのはライカという名前の雌犬であり、地球上の生物で初めて地球の衛星軌道を周回(宇宙飛行)した。生命維持装置は20日間稼働する計画であったが、その故障等によりライカ犬は打ち上げ後数時間で死亡したとみられる。1958年4月14日、大気圏に再突入して消滅。スプートニク2号の成功によって、有人宇宙船の可能性が開けた。 ※ちなみに熱気球によって飛行能力のない動物のうち初めて空を飛んだのは羊である(モンゴルフィエ兄弟/1783年)。 宇宙開発が始まると、人工衛星に載せられる能力の低い計算機や計測器から、いかに簡易的に正確に姿勢の制御ができるか…という研究が注目され始めた。 |
1957 |
日本 |
日本初の原子炉が初臨界 ※東海村に設置 |
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1958 |
ルドルフ・L.メスバウアー |
ドイツ |
放射性元素において原子核からγ線を放出される際に、気体の場合、その原子核はγ線放出の反跳を受け、運動量と運動Eの授受が発生し、γ線のエネルギーには幅広い分布となる。一方、結晶の場合、γ線放出の反跳が無視でき、生じるγ線のエネルギー幅が狭い単色光が得られる(メスバウアー効果)。 |
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1958 |
アメリカ アメリカ |
レーザーの理論 |
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1958 |
グッドマン ロビンソン |
論文『ジャイロ装置の有限回転の効果』 コーニング効果 |
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1958 |
アメリカ陸軍 |
アメリカ |
科学探査衛星エクスプローラ-1号、 打上げ成功 ※2番目の自国打上げ |
1958年1月31日、フォン・ブラウンを中心としたチームがジュノーⅠロケットでアメリカ初の科学探査衛星エクスプローラー1号の打上げに成功した。エクスプローラー1号は宇宙放射線等の計測を実施し、1958年5月23日に電力消耗のため運転停止し、1970年3月31日に大気圏に再突入して消滅した。 ※後にエクスプローラー3号(1958年3月26日に打上げ)の観測結果と合わせて、地球をドーナツ状に取り巻く放射性帯であるヴァン・アレン帯を発見した。 |
1958 |
アメリカ |
アメリカ |
1958年7月29日、アメリカの国家航空宇宙法に基づき航空宇宙局(NASA)が設立。ソ連との中長期的な宇宙開発競争を睨み、アメリカにおける非軍事部門の宇宙開発を総合的に進める組織として発足。 |
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1958 |
アメリカ |
月探査機パイオニア1号、 打上げ成功 |
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1959 |
ソ連 |
月探査機ルナ1号、打上げ成功 ※初の人工惑星 |
世界初の人工惑星であるルナ1号は無人の月探査機である。ルナ1号は月面着陸を目指したものの、それは失敗し、月近傍5995kmを通過するに終わった。 ※月の直径は約3500km。 |
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1959 |
ソ連 |
月探査機ルナ3号、打上げ成功 月の裏側の写真を撮影 |
ソ連が無人の月探査機ルナ3号を打上げ、月の裏側の映像を地球を送信。 |
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1959 |
坂田昌一 |
日本 |
ハドロンの複合粒子モデル |
1950年代、加速器により続々と発見されるハドロンに対してより根源的な基本粒子の存在が示唆された。坂田は複合粒子モデルを考案し、基本粒子として陽子・中性子・Λ粒子に3つの保存則(核子数・電荷・奇妙さ)に対応させて説明を試みた。 |
1960 |
国際度量衡局 |
メートルの再定義 Kr原子の光の波長が基準 |
より正確な長さの測定方法として光の干渉現象が着目されてきた。様々な光の波長があるが、最終的に安定性・単色性をもとにクリプトン原子(Kr86)が出す橙色の光(606nm)が選ばれた。測定精度は100倍ほど高まり、人工的で管理の大変なメートル原器を頼る必要がなくなった。メートルの定義は、特定条件下のKr86の波長の165万763.73倍とし、新たな定義による長さは従来の定義による長さと一致させている。 |
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1960 |
アメリカ アメリカ |
論文『光の見かけの重さ』 |
アインシュタインは一般相対性理論を試験する3つの提案をした。それは以下の通り。 提案テスト①:水星の近日点移動の理論的説明(アインシュタイン/1915年) 提案テスト②:太陽による光の経路の曲進(エディントン/1919年) 提案テスト③:光の重力赤方偏移(1960年) |
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1960 |
ロジャー・ペンローズ |
イギリス |
論文『一般相対論へのスピノルによるアプローチ』 |
一般相対性理論である種の問題を解くためのきれいで見通しがよい新しい計算方法を与えた。 |
1960 |
アメリカ |
気象衛星タイロス1号、打上げ成功 ※世界初の気象衛星 |
1960年4月1日、アメリカは世界初の気象衛星タイロス1号を打ち上げた。可視光ビデオカメラで地表を撮影し、電送により地上に送信。姿勢制御装置に問題があり、夜間撮影はできなかったが、衛星軌道から気象観測が可能であることを示した。 タイロス1号は1960年6月17日の運転停止までに2万2952枚の地表写真を撮影した。 |
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1960 |
アメリカ |
通信衛星エコー1号、打上げ成功 ※世界初の通信衛星 |
1960年8月12日、アメリカは世界初の通信衛星エコー1号を打ち上げた。エコー1号の構造は、直径30.5mの気球(厚み0.0127mmのマイラーポリエステルを金属コーティング)であり、地上からの電波を気球表面で反射することができる気球(受動通信)衛星である。 大陸内・大陸間の電話、ラジオ音声、テレビ信号の伝送に成功し、宇宙通信の有用性を拓いた。 ※1964年1月25日にはエコー2号により追加実験が行われ、その後の通信衛星は中継器で増幅する能動型に移行する。 |
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1960 |
トマス・マシューズ |
アメリカ アメリカ |
クェーサー(準星状電波源,準星) |
両者は3C48と呼ばれる電波源の観測のため、カリフォルニアのパロマ山に5m望遠鏡の準備をしていた。3C48とはケンブリッジ電波源カタログ第三版の48番目にある天体を意味する。当初、3C48には銀河集団があると考えられたが、観測結果としては星しか写っていなかった。継続的なスペクトル観測により、その星の出す奇妙なスペクトル(一様な赤方偏移)やその強度が15分という短時間が大幅に変わるなど従来のどの天体とも違った。電波源ではあるが、星のように見える(普通の星はそれほど強い電波を出さない)一方、スペクトルの変化の様子を見ると星とは言えず、"準"星的なものに過ぎないということで、こうしたタイプの天体を準星状電波源あるいは単に準星(クェーサー)と名付けられた。 ※発見の2,3年後、3C48や同様のクェーサーは宇宙で最も遠い天体(3C48の場合、約60億光年かなた)であることが明らかになった。その奇妙なスペクトルというのは地球から見て猛烈な速さ(光速度の30%)で遠ざかることによる赤方偏移であった。 |
1960 |
セオドア・メイマン |
アメリカ |
アメリカのヒューズ研究所のメイマンがルビー結晶を利用したルビー・レーザーを発明。 |
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1960 |
アメリカ |
オズマ計画、開始 |
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1960 |
IBM |
アメリカ |
航空券予約システム |
IBMはSAGE(半自動式防空管理制組織)の技術を活用し、アメリカン航空から受注した航空券予約システムを開発。 |
1961 | クラウス・イェンソン |
複数電子の2重スリット実験 |
ヤングが光を用いた2重スリット実験(1801年)を行い、光の波動性を示す干渉縞を発見したたように、電子を用いた2重スリット実験が行われた。この実験は電子の波動性が確認(1927年の電子線回折の発見/デイヴィソン=ガーマーの実験)されてしばらくは思考実験であったが、1961年にクラウス・イェンソンにより確かめられた。当然、波動関数の確率解釈(ボルン/1926年)に基づき、スクリーン上の電子の到達位置の分布は統計的に予言できる。 案の定、電子も2重スリットに通すことで光と同様に干渉縞を作り出した。但し、本実験は多数の電子を一斉に2重スリットに照射するため、複数の電子が相互作用の結果なのか、電子単独(単電子)で相互作用しうるのか判定できない。 ※単電子の2重スリット実験は、1974年にピエール・ジョルジョ・メルリにより行われ、技術進歩した1989年に外村彰により追試されている。 |
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1961 | ソ連 | ソ連 |
初の有人宇宙船ボストーク1号、 打上げ |
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1961 |
ユリ・ガガーリン |
ソ連 |
世界初の有人宇宙飛行 地球は青かった |
ボストーク1号に乗ったソ連のユリ・ガガーリン少佐は世界初の有人宇宙飛行に成功。1時間半余りで地球を一周した。3週間後にA・シェパード(米)も有人宇宙飛行に成功するが、米国の威信回復のためケネディ大統領はアポロ計画(有人月面着陸)を発表。 |
1961 |
フランク・ドレイク |
アメリカ |
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1961 |
アメリカ |
世界初の地下核実験 ※ネバダ砂漠(ネバダ核実験場) |
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1962 |
ブルーノ・ロッシ |
アメリカ |
X線天体 |
ロケットに搭載した検出器で太陽系外にあるX線を放つ天体の観測に成功。 |
1962 |
日本 |
日本国産第1号原子炉(JRR-3)が臨界に到達 ※JRR-3は研究用原子炉施設 |
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1963 |
フリッシュ スミス |
アメリカ アメリカ |
時間の遅れの実証 ※特殊相対性理論の帰結の実証 |
宇宙線として飛来するμ粒子の崩壊に至る平均寿命をモノサシにして、光速度付近で運動する物体の時間の遅れを調べた。静止系でのμ粒子の平均寿命は約2×10^-6秒であるが、宇宙線として飛来するμ粒子(光速度の約99.5%)では、特殊相対性理論に基づく時間の遅れのため平均寿命が延びると予測される。フリッシュとスミスは標高の異なる2地点(標高差で1907m)でのμ粒子の累積検出回数を調べて比較した結果、静止系での平均寿命で考えた場合よりも累積検出回数の差が小さかったため、時間の遅れが平均寿命の延びとして現れていると結論付けた。※参考。 |
1963 |
マーテン・シュミット | アメリカ | クェーサー(準星) | |
1963 | ロイ・カー | ニュージーランド |
※自転する軸対称ブラックホール |
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1963 |
アメリカ空軍 |
アメリカ |
米国空軍は対空防護システム(SAGE)を完成・配備。レーダー設備のデータからリアルタイムで敵の戦略爆撃機の位置や軌道を算出・表示する。リアルタイム処理、オンライン・システム、グラフィカル・ディスプレイなど新技術の実証の場となり、コンピュータ産業発展の基盤となる。 |
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1963 |
アラン・マクリオド・コーマック |
アメリカ |
X線CTの原理 |
生体組織を透過するX線の吸収分布について数学的に解析する理論を発表。 |
1964 |
アメリカ アメリカ |
クォーク理論 クォークの導入 |
両者独立でクォーク模型を提唱。当時、陽子・中性子・ロウ・オメガ・デルタ等のバリオン、様々な中間子(メソン)が続々と発見され、ハドロン(強粒子、強い力(核力)が働くバリオンとメソンからなる粒子族)の種類が溢れていた。クォーク模型では、ハドロンを構成するより根源的な基本粒子としてクォークが導入され、100種類超のハドロンは3種類のクォークに還元される。当初満たすべき3つの保存則(核子数、電荷、奇妙さ)に対応する3種類のクォークが用意され、各ハドロンの性質を十分説明した。 |
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1964 |
欧州原子核研究 機構(CERN) |
欧州 |
光速度不変の原理の実証実験 ※特殊相対性理論の公理の実証 |
ジュネーブにあるCERN(セルン)(欧州原子核研究機構)にて、速度の合成則を確認する実験が行われた。速度の合成則とはニュートン力学の時代の考えであり、超光速を許容する結果となる。しかしアインシュタインの特殊相対性理論では光速度不変の原理のもと、ローレンツ変換を満たす新たな速度合成則では、光速度が上限値となる結果となる。具体的な式は以下の通り。 w=(u+v)/(1+(uv/c^2)) 実験内容は、高エネルギー加速器で陽子を光速度付近まで加速して、標的物質と衝突させて多数の高速素粒子を発生させる。この粒子群の中のパイ中間子π0を追跡し、速度を測定する。π0は電気的に中性で、静止していると半減期2×10^-16秒で2つのガンマ線に崩壊する。π0はu=0.99975cでほぼ光速度であり、その後発生するガンマ線はもちろん光速度cである。ニュートン力学における速度合成則であればπ0の進行方向に放射されるガンマ線の速度は1.99975c(光速度の約2倍)である。一方、特殊相対性理論の速度合成則であれば、 w=(0.99975c+c)/(1+(0.99975c^2)/c^2)=1.99975c/1.99975=c となり、光速度cと一致する。 実際の実験結果は誤差1/10000の精度で、ガンマ線の速度が光速度に一致することが実証された。よって、特殊相対性理論の原理である光速度不変の原理は、否定されず正しいという結果となった。 |
1965 |
アメリカ アメリカ |
(宇宙背景放射,3K輻射) ※ビッグバンの残光(余熱) |
衛星放送の障害となる宇宙の雑音電波を調べていたアーノ・ペンジャスとウッドロウ・ウィルソンは、宇宙のあらゆる方角から(等方的に)時間に関係なく一定の強さの電波(ノイズ)が地球に飛来していることに気が付いた。 両名は、特定の電波源のないこの冷たい電波(約2.7Kの温度に相当する黒体輻射スペクトル(プランク分布)に一致)は、138億年前の宇宙誕生時のビッグバンの衝撃の残光(余熱)として、現在に至るまで宇宙全体で反響している証拠とした。これを宇宙マイクロ波背景放射(もしくは3K輻射)と呼び、ルメートルが発見したハッブル=ルメートルの法則の発見(1927年)に続く、ビッグバン宇宙論の決定的な証拠となった(※定常宇宙論は衰退)。 ※宇宙マイクロ背景放射の詳細な観測結果(密度のゆらぎ)は、1989年11月に打ち上げられたアメリカの人工衛星COBE(コービー)により、1992年に発表される。 |
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1965 |
ソ連 |
人類初の宇宙遊泳 |
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1965 |
ジョン・スチュアード・ベル |
アイルランド |
量子論において非決定論(確率論)であるコペンハーゲン解釈に対して、決定論者であったアインシュタインは"隠れた変数"の存在により、量子論は決定論的に扱えるようになると信じていた。ベルは、アインシュタインが主張するような"隠れた変数"が存在する場合に成立する不等式(ベルの不等式)を提示した。ベルの不等式を検証することで、アインシュタインが正しいか、現在の量子論の主流的解釈(コペンハーゲン解釈)が正しいかを判断できる。 |
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1965 | エズラ・セオドア・ニューマン | アメリカ |
※帯電自転する軸対称ブラックホール |
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1965 | イゴール・ノビコフ | ソ連 | ホワイトホールの概念 | |
1965 | フランス |
人工衛星アステリックス打上げ ※3番目の自国打上げ |
1965年11月26日、フランスがディアマンAロケットにより人工衛星アステリックスの打上げに成功。自国ロケットによる打ち上げ成功は、ソ連、アメリカに続き3番目となった。 | |
1966 |
ソ連 |
ソ連 |
無人月探査機ルナ9号、 初の月への軟着陸 |
2月3日、ルナ9号が月の嵐の海に軟着陸。有人着陸に向けてのデータを取得。 |
1966 |
ソ連 |
ソ連 |
無人月探査機ルナ10号、 初の月周回軌道に乗る |
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1966 |
アメリカ |
アメリカ |
無人月探査機サーベイヤー1号、 月への軟着陸 |
6月2日、サーベイヤー1号が月の嵐の海に軟着陸。有人着陸に向けてのデータを取得。 |
1967 |
ケルビン(K)の採用 |
熱力学温度の単位をケルビン(K)に決定。ケルビン(K)は「水の三重点の熱力学温度の1/273.16」と定義される。 |
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1967 |
時間の再々定義 Cs原子の光の周波数 |
原子周波数標準の研究が進み、時間(1秒)が再々定義された。1秒は「Cs133原子の基底状態の2つの超微細構造準位間に対応する放射(光)の固有周期の9192631770倍の継続時間」と定義される(国際原子秒と呼ぶ)。その結果、Cs133原子の当該準位間による固定周波数は正確に9192631770Hzとなる。1997年には絶対零度での測定という追加条件が付され、その精度は3000万年に1秒のズレが生じる程度となる。 |
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1967 |
イギリス イギリス |
ヒューイッシュ(ベルの指導教官)は時間分解能の優れた電波望遠鏡を開発し、掃天観測を実施した。その結果、大学院生のジョスリン・ベルが電波を発光させるパルサー(PSR B1919+21)を発見し、約1.337秒の正確な周期のパルス信号を放つ天体であった。当初、自然由来と思えないほど規則的なパルスのため、ヒューイッシュは地球外知的生命体によるシグナルではないかと考えた。 【パルサーについて】 パルサーはパルス状(数ミリ秒~数秒の間隔)の光(可視光、電波、X線)を規則的に放出するため"宇宙の灯台"とも言われる。パルサーは恒星の超新星爆発後に残った中性子星と考えられ、放射のエネルギー源別に3種類のパルサーが知られている。 また1974年には中性子星が2つ連なる連星パルサー(中性子星連星)が発見される。 |
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1967 |
アメリカ パキスタン アメリカ |
(グラショウ=ワインバーグ=サラム理論, GWS理論) ※電磁気力と弱い力の統一理論 ウィークボソンの予言 |
4つの基本的な力のうち電磁気力と弱い相互作用を統一する理論(GWS理論)が導き出された。初期宇宙(宇宙誕生から10^-11秒後)は10^15度の超高温、超高密度状態にあったため、こうした環境では弱い相互作用の媒介粒子であるウィークボソンの質量はゼロとなり、電磁気力の媒介粒子である光子と同じ粒子と見なされる。よって、電磁気力と弱い相互作用の区別がつかなくなり、両者は一つの力(電弱力と呼ぶ)に統一される。 ※GWS理論から予言される弱い相互作用を媒介する粒子であるウィークボソンは、1983年にCERN(欧州合同原子核研究機構)の実験で発見される。 |
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1967 |
アメリカ アメリカ アメリカ |
当初、クォーク模型は単に現象説明(辻褄合わせ)のための仮想粒子に過ぎないと考えられていた。1967年、SLAC(スタンフォード線形加速器)での電子を陽子に衝突させる散乱断面積測定の実験から、陽子の中の電荷は一様に存在せず、その内部に点状の荷電粒子の存在を発見した。クォークの物理的発見の端緒であり、その後想定される各種パラメータ(質量、電荷、スピンなど)の検証実験は1972年までかかる。 | ||
1968 |
イギリス アメリカ |
映画『2001年宇宙の旅』(4月) 小説『2001年宇宙の旅』(6月) モノリス(進化を促す謎の装置) |
SF映画『2001年宇宙の旅』がキューブリック監督の下で製作され、4月6日に公開された。6月には小説が出版された(映画のノベライズではない)。 ※続編として1982年にSF小説『2010年宇宙の旅』が出版され、1984年に映画化され『2010年』公開される。 |
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1969 |
ARPA | アメリカ |
アーパネット ※インターネットの誕生 |
現在のインターネットの原型。アーパネットの研究開発の主導は国防総省の高等研究計画局(ARPA(1958年設立)、現DARPA)。もとより全米規模でコンピュータをネットワーク化し計算能力の融通し合うことを構想し、アーパネットで実証。当初、通信方式はNCP。 |
1969 |
ソ連 |
初の有人宇宙船ドッキングに成功 ※ソユーズ4号と5号 |
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1969 |
アメリカ航空宇宙局 (NASA) |
アメリカ |
人類、月面に立つ |
7月20日、宇宙船アポロ11号の着陸船イーグルが静かな海に軟着陸。アームストロングとオルドリンが月面に降り立つ。1963年に暗殺されたケネディ大統領が、1960年代末までに果たすと公約したアポロ計画は達成された。 |
1969 |
天の川銀河の運動速度 |
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1969 |
ジョセフ・ウェーバー | アメリカ |
重力波の検出? |
ジョゼフ・ウェーバーは重力波検出器として共振型重力波検出器を利用し、1967年に最初に重力波と思しき信号を捉えたと発表した。しかし、別の事象によるノイズの可能性もあり、信頼性を高めるべくその後、距離を離した2台の共振型重力波検出器を用意した。1969年に2台の装置が同時に信号を検出し、重力波の発見と伝えられた。しかし、多くの研究者が追試実験を行ったが悉く失敗したことから、今ではウェーバーの実験は別の原因で起きたと考えられている。 |
1970 | ベラ・ルービン | アメリカ |
※暗黒物質の存在の示唆 |
ベラ博士は、渦巻き銀河を観測し、光らない物質が銀河に隠されていなければ銀河の回転を説明できないことに気づいた。ケプラーの運動の法則に従えば、銀河の中心部に近い内側ほど速く、遠い外側ほど遅く回転するはずだ。観察の結果、外側の回転があまり遅くなっておらず、銀河の外側にも内側と同じくらいに強い重力源が存在していることを示唆した。 |
1970 |
アメリカ航空宇宙局 (NASA) |
アメリカ |
X線観測衛星ウフル、打上げ |
世界初のX線観測衛星ウフルの打ち上げ。ウフルとはスワヒリ後で"自由"を意味する。 |
1970 |
野村民也 |
日本 |
人工衛星おおすみの打上げ ※4番目の自国打上げ |
1970年2月11日、東京大学宇宙航空研究所(ISAS)主導のもと内之浦の鹿児島宇宙空間観測所からL-4S-5号機ロケットにより、日本初の人工衛星おおすみが打ち上げられた。自国ロケットによる打ち上げ成功は世界で4番目(ソ連、アメリカ、フランス、日本)となった。 |
1971 |
モル(mol)の採用 7つの基本単位出揃う |
国際単位系(SI)基本単位として物質量の単位モル(mol)を採用。これにて7つの基本単位(m、kg、s(時間)、A(電流)、K(温度)、cd(光度)、mol)の定義が出揃った。モル(mol)は「0.012kgの炭素12の中に存在する原子の数に等しい数の要素粒子を含む系の物質量」と定義される。 |
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1971 |
ハーフィール キーティング |
時間の遅れの実証 ※相対性理論の帰結の実証 |
精密な原子時計を積んだ飛行機を飛ばし、地上の原子時計に対する時間の進み具合(テンポ)を比較した。その結果、相対性理論の予測通りの時間の遅れが観測された。 この場合、特殊相対性理論と一般相対性理論の両方の効果が合わさって時間の進み方の違いが累積される。特殊相対性理論では光速度に近づくほど時間が遅れるが、地球の自転スピード(時速1700km)、飛行機の巡航速度(時速800km)と比べると光速度は圧倒的に大きく、この影響は小さい。一方で、一般相対性理論では重力が強いほど(地上に近いほど)時間が遅れるため、重力加速度が地上よりも3%小さい高度1kmを飛ぶ飛行機内の時計の方が地上よりも時間が遅れる。 |
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1971 |
※ブラックホールの実在性 |
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1971 |
クルー | アメリカ |
原子1個の撮影に成功 |
大阪で開かれたX線光学・マイクロアナリシス国際会議にて、クルーが電子顕微鏡撮影によりトリウムとウランの原子を撮影した写真を発表した。約1億倍に拡大した写真には、細長く連なった原子の粒が一個一個、見て取れた。 |
1971 |
東京大学宇宙航空研究所(ISAS) | 日本 |
科学衛星しんせいの打上げ |
1971年9月28日、M-4S-3号機により、最初の科学衛星しんせいが軌道に乗り、衛星による観測が始まった。 |
1972 |
アメリカ アメリカ アメリカ |
コーネル大学のリーのチームは、ヘリウム3の超流動現象を発見。当時ヘリウム3は超流動を起こさないと考えられていた。彼らが発見したヘリウム3の超流動の条件は2.6mK、34気圧であり、これはヘリウム4の超流動の条件よりも厳しい。 |
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1972 |
フランス原子力庁 |
フランス |
1972年5月、ガボン共和国のオクロになるウラン鉱床から採掘される試料を、フランスの核燃料加工施設で分析した。すると天然ウランに含まれるウラン235の同位体比率が太陽系で一定のはずの0.72%より小さく0.717%だった。▲0.003%という僅かな差であるが、見過ごせない値であった。 フランス原子力庁の専門家は、19年前(1953年)にアメリカの科学者が指摘した天然のウラン鉱床が天然原子炉として稼働するという報告に行きつき、アーカンソー大学の地球化学者である黒田和夫がその条件を提示していた(1956年)。20億年前の天然原子炉(ウラン鉱床)は、3%程度の濃縮ウランであり、地下水が減速材として働き、臨界条件を満たして稼働した。温度上昇により地下水が蒸発すれば減速材がなくなり、臨界条件が崩れ、原子炉は停止する。冷えて地下水が再び満ちれば自然に再稼働となる。このように地下水は減速材と制御棒の役割を果たした。採取した鉱石の同位体分析から、当時の天然原子炉は30分稼働すると2時間半以上停止するというサイクルが出来上がっていたらしい。間欠泉のような規則性で断続的に原子炉の停止・稼働を繰り返しながら、数十万年にわたりエネルギーを生み出していた。 |
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1972 |
アメリカ航空宇宙局 (NASA) |
アメリカ |
木星探査機パイオニア10号、打上げ ※世界初の木星探査衛星 |
世界初の木星探査機であり、最初の太陽系外に飛び出した人工天体。ヒトの裸の絵のプレートを積んでいる。 |
1972 |
イギリス |
X線CTスキャナー |
ハウンスフィールド(ビートルズ所属のレコード会社(EMI社)の技術者)は、コーマックのCT理論(1963年頃)をもとにX線CTスキャナー(コンピュータを用いたX線断層撮影装置)を開発し、患者の脳の撮影を行った。1975年には全身用のX線CTスキャナーも開発し、現在のX線CTスキャナーの原型である。相対的な吸収率を示すHousefiled Unit(HU)という単位がある(水は0HU、空気は-1000HU)。 |
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1973 |
日本 日本 |
小林・益川理論 小林・益川模型 ※CP対称性の破れを説明 |
保存則に対応するように当初クォークは3種類だったが、他の保存則や保存則の小さな破れを説明するために、クォークを6種類まで拡大した模型を提唱。 | |
1974 |
ピエール・ジョルジョ・メルリ |
単電子の2重スリット実験 |
電子を1個ずつ何度も2重スリットに向けて照射し、その痕跡が蓄積されたスクリーンには干渉縞が現れることが確認された。これは個々の電子が存在確率波として一定の広がりを持っているという理論的仮定を、実験的に裏付けたと言える。 | |
1974 | アメリカ |
電子の光速度実験 電子の動質量の増加 |
アメリカ西海岸にあるスタンフォード大学の線形加速器研究所(SLAC)で、高エネルギー域に加速された電子の速度を調べる実験が行われた。電子を最高エネルギー(3.3×10^-9J=20.5GeV)まで加速して、速度を測定すると非常に良い精度で光速に一致した。 E=mc^2=m0c^2(静止エネルギー)+1/2m0c^2(運動エネルギー)とすると、 |
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1974 |
ジャージャイ グラショウ |
アメリカ アメリカ |
大統一理論 | |
1974 |
※中性子星連星の発見 時間の遅れの実証 ※一般相対性理論の帰結の実証 重力波の間接的検出 |
プエルトリコのアレシボ天文台で連星パルサー(PSR B1913+16)は発見された。連星パルサーのパルス間隔は、パルサーの公転運動に伴うドップラー効果により約8時間周期で変化する。さらに詳細な観測により、もう一方の星も中性子星であることが判明した。また連星パルサーでは両天体の接近時には重力が強まることによる時間の遅れ(一般相対性理論の効果) パルス間隔の延びが検出される。 【重力波の間接的検出】 さらに両名は十数年にわたって連星パルサーを観測し続け、その公転周期が徐々に短くなっていることを突き止めた。この周期減少率は重力波として外部にエネルギーが持ち出されるとする一般相対性理論の予測値に誤差の範囲で一致したことから、重力波の存在を間接的に示したと言える。 ※当時、連星パルサーは重力波検出の唯一の手段であったが、直接的な重力波の検出方法としてLIGO(レーザー干渉計重力波観測所)が2005年から観測開始し、途中改良を経て2015年9月に初の重力波の直接観測に成功している。 |
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1975 | ポール・ディラック | イギリス |
講演『宇宙論と重力定数』 物理定数の変化説 重力定数は次第に弱くなる? |
1940年にガモフが相対論の啓蒙書として刊行した『不思議の国のトムキンス』は、相対論効果を際立たせるために、光速度という物理定数を自転車の走行速度まで落とした世界を舞台とした。ガモフは物理定数を変えた世界を例え話として考えてみせたが、実際に物理定数は変化しているという説を唱えたのは量子力学、量子電磁気学の確立で活躍したディラックである。 ディラックは電気力と重力の比率①と、宇宙と陽子の比率②という無次元の二つの巨大数(いずれも約10^40)に注目した。まず両者が同程度であることに対して、単なる偶然の一致とは信じられないとし、未来永劫いつも一致していると仮定した。次に、宇宙が膨張し続け、陽子などの素粒子の大きさが一定(スペクトル線の波長などは常に一定)とすれば、比率②は増加し続ける。増加する比率②と比率①が一致するためには、比率①のうち素粒子の質量は変化させなければ、最終的に動かせるのは重力定数Gとなる。つまり、重力定数Gは時間に対して減少していくと予測した。 「私の観点では、宇宙は最大の大きさはなく、無限に膨張していくものであります。そして重力定数Gはそれに従って永久にますます弱くなるのです。」 |