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日本史_19世紀後半(1851-1900)_近代国家の成立


■年表

和暦 

60

西暦

40

20

国内 国際
 イベント160 メモ280 イベント120 メモ
             
明治1 1868   五箇条の御誓文      
             
明治9     憲法、起草

明治天皇が元老議長に憲法の起草を命じる。

   
明治13     君が代、作成

国際的な儀式や祭典には国歌の演奏が必要。宮内庁雅楽課が旋律を付し、エッケルトが洋楽風に編曲。歌詞は平安時代の古今和歌集より。

   
明治14   10 国会開設の詔

明治23年に国会を開設するとの勅諭が出される。これより政党が誕生。板垣の自由党、大隈の立憲改進党など。

   
         

独墺伊、三国同盟

 
明治15 1882 7     壬午事変 李氏朝鮮の開国後、改革に反対する保守派が暴動を起こし、日本公使館を襲った。
明治16 1883 8     清仏戦争、勃発 ベトナム領有を巡り清とフランスの間で戦争が勃発。
明治17 1884       甲申政変 朝鮮の改革派は、清仏戦争で清がフランスに敗れたことを好機とし、クーデターを起こすが、清軍に鎮圧。
明治18 1885 4     天津条約

甲申政変で日本と清の間で軍事緊張が高まる。両国が朝鮮から兵を引き揚げる条約を交わす。

将来朝鮮に出兵する際には相互通知を要し、派兵後は速やかに撤退し、駐留しないという条項を付した。

明治22 1889 2 大日本帝国憲法、公布 欧米憲法と日本の政治思想を研究し、立憲君主制と議会制民主主義を謳う憲法を作成。    
明治23 1890 7 第1回衆議院議員総選挙

選挙権は、満25歳以上の男性、直接国税を15円以上納める者に限定。国民の1%に相当。

   
明治27 1894 2    

甲後農民戦争

(東学党の乱)

朝鮮で大規模な農民反乱が起き、朝鮮政府から要請を受けた清は軍隊を送った。日本も天津条約により朝鮮に派兵。

7 日清戦争、勃発

甲後農民戦争に際して、日本と清は朝鮮に互いに派兵。乱の鎮圧後、朝鮮政府は日本と清に撤退を求めるが、どちらの軍も受け入れず一触即発の状況。ついに7月25日に両国の軍隊が衝突し(豊島沖海戦)、29日に成歓の戦い、8月1日には両国は同時に宣戦布告した。

明治28 1895 4

下関条約

(日清講和条約)

近代装備に優る日本軍は各地の戦闘で清軍を制圧し、戦争に勝利。翌明治28年、山口県下関市で日清講和条約を締結。下関条約の第一条「清は、朝鮮半島の独立を認めること」であり、清から得た賠償金は2億テール(当時の日本の国家予算の4倍)であった。下関条約により李氏朝鮮は初めて清から独立した。
4 三国干渉 下関条約の締結から6日後、ロシア、フランス、ドイツの三国が日本に対して遼東半島の返還を要求。その理由は、極東の平和を乱すからとしたが、実際は満州の利権を狙ったロシアがフランスとドイツに働きかけたもの。日本は三国に対抗する国力がなく、この干渉を受け入れ遼東半島を清に返還した。なお、返還金の3千万テールは日本の経済を繁栄させた。
     

フランス、

鉄道施設権や鉱山採掘権を獲得

フランスは清に三国干渉の見返りを要求し、安南鉄道の延長や雲南・広東などでの鉱山採掘権を獲得。
明治29 1896      

ロシア、

鉄道施設権の獲得

ロシアは清に三国干渉の見返りを要求し、東清鉄道施設権を獲得。
明治30 1897      

大韓帝国、成立

下関条約により清から独立した李氏朝鮮は大韓帝国に改めた。清による冊封の象徴である恩迎門などを倒し、その跡地に清からの独立記念として独立門を建立。国内では親日派が台頭したが、三国同盟に日本が屈すると新ロシア派が台頭した。

明治31 1898      

ロシア、

旅順/大連の租借権を獲得

ロシアは引き続き、日本が清に返還した遼東半島の南端の旅順・大連の租借権を獲得。
     

ドイツ、

膠州湾の租借権の獲得

 
明治30 1899      

フランス、

広州湾の租借権の延長

 
明治33 1900      

義和団の乱

(北清事変)

欧米列強が次々に清を蚕食する中、それを排斥しようと清国内で秘密結社"義和団"が誕生。新政府はひそかに支援し、義和団は北京に入り、各国公使館を包囲。清政府は好機と捉え、欧米列強に宣戦布告。各国の軍隊が到着すると瞬時に鎮圧され、賠償金を科し、清は列強の半植民地となった。

各国が満州から軍隊を撤退させても、ロシアだけは引き揚げず、事実上満州を占領した。