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中国_近代金融史


年月 金融関連の国家的動向 銀行 証券・運用
1949年

■中華人民共和国、建国

→1949年10月1日、

   
1978年

■鄧小平、権力掌握

→改革開放政策が開始

   
1979年      
1980年

■国際通貨基金(IMF)に加盟

→為替制度改革に取り組み始める。

   
1982年    

■国債発行、再開

1984年 ■預金準備金制度が施行

→中国人民銀行の資金集中手段

■中国工商銀行、誕生

→中国人民銀行の商業銀行部門を分離

 独立させ、中国工商銀行が誕生。

→"国有商業銀行4行体制"が形成

 
1986年    

■中国工商銀行、株の店頭取引を開始

→株式取引市場の雛型となる。

※この時点で証券取引所はない。

1987年  

■交通銀行、上海で建設

→株式制商業銀行の第1号

■中信銀行、招商銀行、深圳発展銀行

 の設立

→株式制商業銀行として設立

 
1989年 ■6・4天安門事件    
1990年    

■上海証券取引所、設立

1991年    

■深圳証券取引所、設立

■上海証券取引所、B株が初発行

→上海市場で海外投資家が購入可能な

 B株が初めて発行される。

■債券レポ取引、開始

1992年  ■中国証券監督管理委員会、発足

→証監会(CSRC))は証券市場・証券業の

 行政を担当

 

 

1993年

■国務院、政策金融と商業金融を分離

→「金融体制改革に関する決定」を発表

→4大国有専業銀行の政策金融機能を外部

 に出し、新設した政策性銀行に継承

→政策性銀行と国有商業銀行が誕生

   
1994年  

■政策性銀行の設立

→中国政府の政策方針への迅速対応が

 できる。

①中国国家開発銀行、設立

→社会インフラ整備等を担当。国家的建設

 プロジェクトへの中長期資金調達を実施

→ダム・空港・鉄道などへの貸出を実施

②中国輸出入銀行、設立

→輸出入信用等を担当。中国企業の機械

 電気製品や大型設備の輸出入に関する

 資金需要に合わせて直接融資。

③中国農業発展銀行、設立

→農業に関する資金調達等を担当。

→発足当初、"白条"問題の解決を期待

■銀行間外為市場が開始

→上海外為取引センターを取引場所と

 し、中国人民銀行の直轄の事業法人

 である。

1995年  

■全人代で商業銀行法が制定

→商業銀行の設立・組織・業務内容に

 ついて詳細な規定を設けた。

→ALM面からリスク管理と規制の方法を導入

→国有専業銀行から金融政策部門が分離

 され、国有商業銀行となる。

→中小規模銀行(都市商業銀行、農村商業

 銀行など)の設立ブームの契機となる。

■中国人民銀行法、施行

→中国人民銀行は中央銀行としての地位

 と業務内容が法律で定められた。

 
1996年    

■銀行間コール市場が開始

→上海外為取引センターの直轄下で、

 全国統一の無担保信用取引市場を

 設立。

1997年    

■取引所での債券取引の全停止

1998年 ■預金準備金制度の改革

→政策手段と位置付けられる。

→中国で最有力の金融政策手段であり、

 水準変更頻度が高く、銀行の信用拡張

 能力をコントロール。

■中国保険監督管理委員会、発足

→保監会(CIRC)は保険業界の管理を担当

■アジア通貨危機が発生

→大規模な不良債権問題の発生

 

■銀行間債券市場が開始

→前年の取引所での債券取引の全停止に

 代わるインフラとして開始。

 

2001年

■世界貿易機関(WTO)に加盟

→金融分野の対外開放も約束

■外資銀行の独資参入を認可

→中国現地法人として外資銀行は進出

→日本のメガバンク3行含め30行以上

 
2002年    

■QFII制度、導入

→海外投資家によるA株投資

2003年 ■中国銀行業監督管理委員会、発足

→銀監会(CBRC)は銀行行政を行う。

→地域銀行の大量出現、国有商業銀行の

 株式会社化、不良債権処理を踏まえて

 発足。

→金融については、1行3会の体制へ。

   
2004年  

■中国建設銀行、株式会社化

 
2005年  

■国務院、商業銀行に資産管理会社への

 投資解禁

→4大国有商業銀行を中心にファンド・資産

 管理会社・保険会社・証券会社等への

 投資や新会社設立が加速した。

■銀行間債券市場、CP導入
2007年     ■欧州発、パリバショック
2008年 ■一般企業、企業債発行の認可

→従来、大型国有企業に限り企業債

 発行が可能であったが、上場企業・

 非上場企業に対して発行が認可。

 

 

■銀行間債券市場、MTN導入

 

■米国発、リーマンショック

→上海総合指数は2007年最高値(6092)

 から2000弱まで下落(下落率72%)。

2009年

■対外取引決済に人民元の使用を認可

■地方債の発行解禁

→予算法で禁止されていた地方政府の

  債券発行が解禁される。

  %) 
2010年

■GDP世界第2位に

→依然、中国国内の資金調達の90%が

 間接金融(銀行による融資)。

 

■ギリシャ危機・欧州債務危機

2011年

■社会融資総量を導入

→第三の資金調達手段のシャドーバンキングが

 拡大し、従来の銀行融資総量では社会

 全体の資金の動きが把握しきれなくな

 った。

→間接金融、直接金融、銀行オフバランス融資

 の三つを総合した社会融資総量という

 新しい統計概念を導入。

   
2012年

■習近平政権、誕生

■金融業発展改革の第12次5ヵ年計画

→2015年には直接金融比率を15%超に

 高める。

   
2013年    

■アリババの決済サービス、アリペイ導入

→アリペイと通じた余資運用サービス"余額宝"

 によりMMFへの資金流入が増加。

→シャドーバンキングの規模拡大に寄与。

→民間企業のサービスが中国本土の資産構造

 を大きく変えた出来事の一つ。

2014年    

■滬港通(上海-香港ストックコネクト)、開始

→上海・香港の株式相互取引が開始

→海外投資家が香港を通じて、上海株式

 市場で株式売買できるシステム。

2015年 ■政策金利、変動規制撤廃

→銀行預貸基準金利に対する変動幅規制

 が撤廃される。

■預金保険制度を導入

■SDRに人民元が採用決定

→国際通貨基金(IMF)の特別引出権(SDR)

 の構成通貨として人民元の採用が決定

 された。

→国際決済通貨シェアは第5位(2.4%)に。

→依然として人民元には厳格な外貨管理

 規制と資本規制が残っている。

 

■中国発、チャイナショック

→中国震源の株価急落。人民元切り下げ

 を契機に、株式を売却して外貨建て

 資産を購入する資本流出が急増。

→上海総合指数の下落率は約40%。

→中国政府は、空売り禁止、IPOの暫時

 凍結、国有企業保有株の売却禁止、

 証券会社によるETF購入、株式売買の

 監視強化など、株価維持対策を実行。

→中国証券市場では国内個人投資家が

 圧倒的に多く(売買高の90%弱)、リスク

 の高い要因となっている。

2016年    

■深港通(深圳-香港ストックコネクト)開始

→深圳・香港の株式相互取引が開始

→海外投資家が香港を通じて、深圳株式

    市場で株式売買できるシステム。

2017年

■国務院金融安定発展委員会、設立

■地方債、国債発行額を超える

 

■深圳証取、上場企業数2000社超え

→メインボードに加えて中小企業板、創業板

 がある深圳証取は上場企業数が2000社

 を超える。

■債券通(ボンドコネクト)の導入

→海外投資家が香港経由で中国本土の

 債券市場(銀行間債券市場)にアクセス可能

 なボンドコネクトが導入される。

2018年 ■中国銀行保険監督管理委員会、発足

→金融業務の複雑化や相互進出により、

 部門別の管理体制における問題点が

 顕在化。

→銀監会と保監会が統合され、銀保監会

 が発足。証監会は独立維持。

■ボアオ・フォーラムにて金融対外開放を公表

→外資証券会社の現地法人の出資比率

 をただちに51%に引き上げ、2021年

 からは独資参入も認める。

→多くの外資証券が一気に中国本土への

 参入を目指し動き始める。

■上海証取に科創板新設を宣言

→上海開催の中国国際輸入博にて、習

 近平国家主席は、上海証取にイノベーション

 型国家戦略発展の推進のため科創板を

 設立すると宣言。

→最先端技術を持つ自国のユニコーン企業

 (企業価値10億$超の未上場企業)

 を自国市場に引き込む狙い。

■中国本土の株式市場規模、世界第3位

→チャイナショックから株価下落した

 ものの約660兆円の株式市場規模。

→米国、日本に次ぐ、世界第3位。

2019年    

■新規上場(IPO)、登録制へ

→従来の証券当局の認可制から、取引所

 の上場審査による登録制を導入。

■日中ETF相互上場が実現

→"ETFコネクティビティ"の枠組みにより日中

 双方で同時にETF上場が実現

→ETFを介して、中国本土の国内投資家

 が日本株に直接に投資可能になった。

※ストックコネクトやボンドコネクトは香港を介して

 いるため直接中国本土とは繋がって

 いなかった。